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文化財

大砲が欲しかった -2

 前回の続き--------------------------
 前回反射炉の記事だと思って読んだ方には申し訳ない事をしてしまった。今回はちゃんと反射炉のお話を。

 江戸時代も残り少なくなった19世紀の中頃、欧米の艦船に搭載された大砲は青銅から鉄に替わっていた。これは一つの技術革新ではあるが、その目的は大砲の性能向上ではなくコストの削減であった。当初は青銅砲と同じ性能の鉄製砲を造ることに苦労したが、それでも格段に安い大砲ができるということで開発が続けられた結果、高価な青銅砲が廃れていったというわけである。
 その頃日本でも鉄の大砲を造ろうとした人々がいたが、その目的は経済性というより、とにかく欧米の進んだ軍事技術が欲しいという気持ちの方が強かったのだと思う。青銅が比較的豊富にあった日本なら、青銅砲の性能向上を図ることも選択肢としてはあり得たはずだから。

 当時の大砲は溶けた金属を型に流し込んで造る鋳造砲で、基本的には釣鐘や鉄瓶と同じ製法である。しかし、火薬の爆発による加圧と衝撃で割れないだけの粘りを持った鉄を、品質にバラツキがでないように量産する技術が日本にはなかった。
 そこで砲兵戦力の強化を願う幕府や雄藩は、オランダ語の鉄製鋳造砲技術書「Het gewezen in's Rijks Ijzer-geschutgieterij te Luik ロイク(リエージュ)王立鉄製大砲鋳造所覚書」の訳本「鉄熕鋳鑑図」(京大電子図書館)などを参考に、製鉄設備を造るところから始める必要があった。その取組みを今に伝えるのが、伊豆や長州に残る反射炉の遺構である。

 最初に鉄の大砲造りに取組んだのは、幕府のほか萩藩(長州藩)、薩摩藩、佐賀藩、鳥取藩、御三家の水戸藩、などで、いずれも30万石以上の大きな藩であった。中でも幕府軍の火力増強に取組んだ高島秋帆や江川英龍(太郎左衛門)らは、日本の近代砲術の祖としてよく知られている。

伊豆反射炉S
江川英龍の遺志を継いだ息子英敏が完成させた韮山反射炉。
現在見られる鉄の補強枠は後に付け足されたもの。


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江川英龍

 日本初の反射炉は、韮山代官を務めた江川英龍が、1849年に江戸屋敷の庭に造った実験炉とされる。この炉はすぐに取り壊されたらしく遺構は残っていない。代官というと地方の村を治める役人のイメージだが、韮山代官は伊豆のほか、武蔵、相模、甲斐などにある天領を管轄する大名並の役職であった。
 江戸での実験に成功した英龍は、伊豆下田での実用炉の建設に着手するが、下田開港によって用地の移転を迫られたり(下田から伊豆半島の付け根に近い韮山に移転)、安政の大地震などで完成が遅れ、英龍は完成を見ずに没した。現在韮山に残る見事な反射炉は、父の遺志を継いだ息子の英敏が、佐賀藩の技術者を招いて1857年に完成させたものである。
 韮山反射炉で鋳造された鉄の大砲の数は最大でも十数門とされるが、その何倍もの不良品を出したため、結局は青銅砲の鋳造に切り替えられた。
 鉄から青銅に戻ったことは技術的後退というより実用炉として適切な選択であったと思う。大砲の鋳造に向いた鉄材が得にくい日本では、強度に不安のある鉄の大砲を無理に造るより、堅実な青銅砲をできるだけ多く装備した方が国防上有利だったといえるだろう。日本は明治に入っても青銅砲の製造と運用を続け、日清日露戦争ではフランス製の小型青銅砲のコピーが主力兵器の一つとして使われている。

 江川英龍と同じ頃に反射炉の建設を始めたのが佐賀藩の鍋島直正で、藩内に鉄の精錬を研究する部署を設け、1850年に日本初の本格的な反射炉を完成させた。佐賀藩の研究成果が薩摩や韮山、萩などの反射炉の基礎となり、また製造した大砲は幕府や他藩にも納められている。残念ながら佐賀藩の反射炉は解体され、後世作成された考証復元絵図(築地反射炉絵図/財団法人鍋島報效会蔵)や模型を残すのみ。現在跡地(推定)には記念碑が建っている。

 佐賀藩はヨーロッパが200年かけて作り上げた鉄製鋳造砲の基本を、10数年で、しかも独学で習得したといえるが、戊辰戦争で官軍が使用したアームストロング砲まで佐賀藩が造ったというのは誇張された伝説である。それらしい形の砲身は造れたかもしれないが、アームストロング砲として機能する機械を造るほどの技術はなかった。だからといって佐賀藩士や鋳物職人達の先駆的取り組みが色褪せるものではない。本に掲載された図を頼りに反射炉を建て、鉄の大砲を造ってしまったことは驚愕に値する。

萩反射炉S
山口県萩市に現存する萩藩の実験炉の煙突部分
自然石(玄武岩)でできており、先端部分だけが煉瓦となっている


 上の写真は1856年に造られた長州萩藩の反射炉。佐賀藩の反射炉から原理だけを導入し、自分達が造りやすい形にアレンジしている。精錬などの実験を行っただけで、大砲の製造は行っていないという。
 自然石を使っているので素朴な印象を受けるが、重要な炉の内面のアーチなどはきちんと成形されている。

萩反射炉炉内
萩藩の反射炉内部

 上の写真で示した2つが日本に現存する幕末の反射炉であるが、茨城県の那珂湊(ひたちなか市)には昭和12年に復元された水戸藩の反射炉がある。
 幕末の水戸藩は強硬な攘夷論者徳川斉昭(最後の将軍となった徳川慶喜の実父)の指導の下、軍備の拡充に務め、この反射炉もその一環として、1855年と1857年に1基ずつ完成させた。
 建設には南部藩から招かれた製鉄の専門家大島高任のほか、宮大工の棟梁や瓦職人が活躍したという。明治期の偽洋風建築もそうであるが、日本の建築職人達の、どんな物でも形にしてしまう能力には驚かされる。

那珂湊反射炉S
1937年に復元された水戸藩の那珂湊反射炉


水戸藩那珂湊反射炉は、韮山反射炉と同じく耐火レンガ積んだ当時としては非常に近代的な建造物で、脇にはレンガを焼いた窯も復元されている。

那珂湊反射炉煉瓦窯
那珂湊反射炉の脇に復元された耐火レンガを焼く登り窯


 反射炉以前に水戸藩が造った大砲は青銅製の臼砲で、寺院の釣鐘まで徴発して数を揃え、領地の海岸に並べるだけでなく幕府にも献上していた。
 反射炉ができると早速小型の鉄製臼砲を鋳造するが、鉄の質が悪く、強度の足りない危険な砲になってしまったらしい。この砲は幕府に献上されたが、実際に使われたかどうかは分からない。もし実戦に投入されていたら爆発して砲手が死傷した可能性もある。
 その後大島高任の活躍で、南部から良質の銑鉄が供給されるようになると、臼砲だけでなく大型のカノン砲の鋳造にも成功する。現在、那珂湊反射炉の傍らには、真っ赤に錆びた鉄製カノン砲が飾られている。これは40年程前に製作されたレプリカであるが「大島高任らも、こんな大砲を造ったに違いない」と思わせるような、本格的な鉄の鋳造品であった。

那珂湊カノン砲
那珂湊反射炉に展示されている鉄製鋳造カノン砲

 しかし那珂湊の反射炉は大砲10門程度の鉄を溶かしただけで破棄された。その原因は1864年に起きた、尊王攘夷派の水戸浪士「天狗党」の武装蜂起である。運悪く那珂湊が天狗党と幕府軍との決戦場となり、陣地として重要な丘にあった反射炉は、激戦の中で破壊されてしまった。高い煙突は恰好の砲撃目標になったであろう。その後反射炉が再建されることはなく、水戸藩は分列したまま消滅する。国際関係を視野に入れて造った設備が、藩という小さな単位の内戦で失われるとは何とも皮肉な話である。

面白かった参考文献---------------------------------------------

菅野利猛「韮山反射炉の大砲復元鋳造について(日本鋳造技術協会 JACT NEWS/1998,9) 」(PDFファイル)

芹澤正雄「U.ヒュゲエニン著“大砲鋳造砲”とわが国製鉄史における意義(社団法人日本鉄鉱協会/特別講演/1987)」(リンク先のプレビューを開く)

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Comment

No Title

う~~ん、大砲ね、興味ない話題だなぁ~~
が、一転して今回写真が楽しい、反射炉って
いわゆる溶鉱炉と考えていいのですか?

No Title

追伸
あのー、私のだけでしょうか、文章が左右の枠
に収まらず、いちいち左右に移動しなきゃなら
ないんですけど。。。

No Title

>いーくんさん

お読みいただきありがとうございます。

・ひとつめ
広い意味でそうお考えになってもかまいませんが、溶鉱炉と反射炉は定義が多少ちがいますので、それぞれ検索してみて下さい。私が中途半端に説明するより、よい答えが見つかると思います。

・その2
ブラウザの設定で、表示文字を小さくしてみて下さい。

お手数ですがよろしくお願いします。

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Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
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1955年生まれ
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