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文化財

これで塔はしばらくお休み(笑)

 すっかり更新がご無沙汰になってしまった。申し訳ない。

 塔ネタばかり続けたので、もう飽きたぞ思われた方も多いと思うが、また塔である。
 今回は前回のネタを少し引きずっている。写真は秋田県の日吉八幡神社(八橋山王権現)の境内にある朱塗りの三重塔。江戸時代に建立された少し新しい物件である。

日吉八幡神社

 日吉八幡神社は平安時代に神仏習合の日吉山延命寺として始まったとされるが、その後紆余曲折があり数度の移転を経て、領主佐竹氏の庇護の下現在の地に落ち着いたということである。
 江戸時代の絵図によれば、神仏習合の寺というより完全な神社であり、その中に場違いな感じで塔が建っている。神社が付近の住民のために先祖供養などの仏教サービスも行うといったスタイルで運営されてきたのだろう。

 塔は18世紀初頭、豪商が先祖供養のために建立したとされ、江戸末期に改修されている。和様と唐様が混然一体となった折衷様式で、ちょっと大袈裟な高欄や屋根の張り出しの比率から、プロポーションがずん胴に見えるが、基本設計のしっかりしたよい塔だと思う。屋根は現状が銅葺き。それ以前は何葺きだったかまだ調べていない。重そうな瓦葺きよ、杮葺きにシルエットが似た銅葺きの方が個人的には好きである。
 プロポーションについては、江戸時代と今では美意識が大きく違うので、単純に比較して優劣を論ずることはできない。なんせ江戸時代は短足で頭でっかちで猫背で膝を屈めて立ってる方がスタイルがよいと思われていたのだから。現代の中高年の女性が和服を好むのは・・・・なんてことを言い始めると叱られるのでやめておこう。

日吉八幡神社_廂

 この塔も垂木の形式が階層によって違っている。前回紹介した新海三社神社とは逆に、一番上の屋根だけが扇垂木、しかもシンプルな一軒(一重)で、下の二層の屋根は二軒(二重)の繁垂木となっている。

 この地にも明治の廃物希釈の嵐が押し寄せてきたというが、この神社では仏像仏具を隠し、三重塔の四方に有力大社の額を掲げ、破壊を免れたという。

日吉八幡神社_額

 最近読んだ本で、遅ればせながら、日本の塔婆は土着のアニミズム、即ち神道の源流と関係が深いという解釈のあることを知った。
 仏教の普及以前から、宗教行事として柱を立てることが盛んに行われており、信州の御柱祭りを見ても分かる通り、仏教の普及後もそれは連綿と続いていた。そして、初期の塔は立てた柱の鞘堂だったというのだ。なるほど塔の心柱は、屋根も壁も支えず、塔の中心にただ立っているだけなのである。他の部材は心柱と結合されていない。
 つまり日本の塔は、仏教の思想体系で土着のアニミズムを包み込み、日本人に仏教を違和感無く受け入れさせる手段の一つになったと見ることができる。となれば、神社に塔があってもそれほどおかしくはないという気になってくる。

 この本は、日本の寺院建築に少しでも興味がおありなら、ワクワクしながら楽しく読めるだろう。塔婆は御柱の鞘堂であるというような話は、その内容の一部に過ぎない。著者は高度な専門知識を持つ建築家であるが、難しい話を極めて平易に、的確に説明されている。是非お勧めしたい名著である。
 武澤 秀一「空海 塔のコスモロジー」(春秋社 2009)

塔のコスモロジー
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Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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