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文化財

富岡の追記

上田蚕種協同組合ロゴ
信州上田の蚕種協同組合の入口にあるロゴマークと装飾。上州や信州には蚕や繭、蚕蛾をモチーフにした装飾は数多く見られる。本稿の内容とはあまり関係がないイメージ写真(笑)

 官営時代の富岡がどれぐらい赤字を出していたのか調べようと思ったのだが、自宅にいて調べる範囲では限界があった。いくつかの資料が赤字であったとしているのだが、具体的な記述がなく、唯一数字があった別の資料は若干の赤字と黒字を行き来してるものだった。
 巨費を投じて大工場を建て、その直後から黒字なんてのもおかしな話であるが、敷地は草ぼうぼうで建物内は乱雑であったというから、節約第一で頑張ろうとしたことはうかがえる。
 あと、数名のフランス人の給料が無くなったことで黒字が増えていた。いくら外国人の給料が高いといっても、それが収支に大きな影響を与えるような事業規模なら黒字もたかが知れている。
 でも、前の記事の「赤字」というのを「収益があがらない」と修正しておきたい。別に赤字でもいいんだけどしっかりした根拠が用意できなかったので(笑)。

 国から工場を払い下げてもらって経営を引継いだ三井(他の製糸会社も欲しがったが高くて買えなかったので、明治政府の御用商人として富岡の面倒を見ることになったという捉え方もできる)の収支も、官営時代とさほど変わらなかったようで、三井の頃の労働環境はまだ穏やかだったといえるかもしれない。
 当時7つの製糸・紡績工場をかかえていた三井だが、儲からない製糸場で無理をしてもしょうがないと三重製糸所などといっしょに原合名会社に譲渡した。この当たりの判断の早さは「さすが越後屋おぬしもやるな」である。

 ところで、経営が三井に変わって間もなく起きたストライキは、給与システムの変更が原因であったらしい。
 製糸業界では、色々な給与システムで試行錯誤したが、結局工女に不利な格差の大きい歩合給と、罰金制の組み合わせが一般的となった。それはまず人件費の総額を決め、それを技能によって細かく等級分けした工女に差別的に分配し、さらに不良品を出した場合は罰としてそのつどマイナス加算し給料を減らすというシステムである。これなら、人件費を経営計画通り低く抑えられ、しかも賃金の安さを労働者の技量に転嫁し、それでいて工女の不満を抑え競争心を煽って労働意欲と質を高めることができるという寸法だ。
 この結果、少数の高給取りが生まれる反面、労働法が整備されるまで最低賃金という制度が無かったから、生活できないほどの低賃金や、最悪の場合は給料がゼロやマイナスという事態に陥る者も生まれた。
 就職した少女の全員が繰糸が上手にできるわけではなく、実際に自殺者や逃亡者がでたというが、貧農出身で郷里を離れて働く若い女性が工場から逃亡しても、悲惨な結末を迎えることになっただろう。

 また悲しいのは、工場内の売店や付近の商店が、ツケで工女達に色々なものを売っていたらしく、現金などほとんど手にしたことがなく経済観念が未熟な少女達は、そこでローン超過になるような買い物をして、借金を抱える者もいたという。いい家のお嬢さん達だったといわれている明治初頭の模範的工女、和田英の仲間達も、売店で借金を重ね、松代から連れ戻しに来た男が、持参した公費でツケの清算をせざるを得なくなり、帰りの旅費が無くなってしまうという事態に陥っている。
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Comment

何故か文字化けにより再投稿

三井が儲からなかったとありますが
そうでもないかも?

昨日見た資料には、官製から払い下げる際、
競争入札したが、高くて誰も落札出来ずに再入札して
三井が落札したとのこと。
これもデキレースかなと思った。
そしてリスクと利益が見合わないとみるや上手く売り抜けた。

また輸出先も官製の時はフランスとアメリカ。
三井になったらアメリカだけになったとも書いてあった。

本当の悪代官は欧米かも?


Re,: 何故か文字化けにより再投稿

2015-05-05 5月5日のguest さん

興味深いコメントありがとうございます。

 1回目の入札は、各社とも落札希望額にとどかず不成立に終わりましたが、再入札が行われるまでに2年の期間を要しています。その間、所長の速水堅曹が民営化に向けた整備を行い、また細い糸を求めるアメリカの要求に富岡の製品が合致したこともあって、1回目の落札希望額を上回る価格設定がなされました。
 すでに金融や重工業で地位を築いていた三井には、政府の希望に応えられるだけの財力があり(製糸業者は生死業者と呼ばれるほどの厳しい経営を強いられていたので、あまり資金の余裕はありませんでした)、希望額を上回る入札で払い下げが成立しました。
 この際、政府から事前に打診はあったかもしれませんが、出来レースというよりは、製糸業者では対応できなかったと思われます。
 また、三井以外の財閥が、浮沈の大きい製糸業に、どの程度関心をもっていたか分かりませんが、三井が富岡取得から10年も経たないうちに製糸業から撤退したことを考えると、財閥系の資本は製糸業にあまり熱心ではなかったと考えられます。

 三井から富岡を引継いだのも、ご承知の通り製糸事業者ではなく横浜の生糸商、原合名会社でした。価格は2回目の入札価格より若干高い価格で商談が成立したようですが、さすがの豪商原も全額一括で支払うことはできなかったようですから、当初から富岡の施設を欲しがっていた諏訪などの製糸業者には、到底手がでなかった額だったようです。

 日本の生糸価格を支配していたのは、いうまでもなく横浜に会社を構える欧米の商人たちですから「本当の悪代官は欧米かも? 」とおっしゃるのは正しいと思います。

 横浜の取引のことは昨年夏『日本のおカイコさん-4/横浜から読み解く製糸産業 http://cicadan.blog111.fc2.com/blog-entry-153.html 』として少し書きましたので、お時間のある時にでもお読みいただければ幸いです。

明治日本の産業革命遺産

横浜の記事を読んでこの欄に戻ってきました。
ちょうどテレビのニュースでは昨日発表された明治日本の産業革命遺産の話題。
今回の申請内容は8県にまたがり23ヶ所の施設で構成されるという。

それなら富岡も絹産業革命遺産としてその他地域と(横浜、八王子など)
一緒に認定を受ければ良かったのかなと思いました。
また、文化庁からはキリスト教関連施設が候補になっていたが
政府内の政治判断で産業革命遺産が推薦されたというニュースも興味深い。

Re, : 明治日本の産業革命遺産

お読みいただきありがとうございました。

>富岡も絹産業革命遺産としてその他地域と(横浜、八王子など)
>一緒に認定を受ければ良かったのかなと思いました。

私も同じように感じています。

 今の政府は明治の富国強兵時代を理想としているようなところがありますから、こうしたこと(推薦テーマを教会から産業遺産に変えてしまったこと)の可能性がないわけではありませんでした。
 ただ、世界遺産登録によって、予算が少ないがために放置されてきた遺構が、積極的に守られるようになればいいですね。

文化財を守るための経済力

ご指摘のように世界遺産登録により様々な予算が付く可能性が高まりますね。
また別のコメントで英国と日本の違いについても書かれていましたがその通りだと思います。

下田の記事にも投稿させていただきましたが、守りたいものがあっても
一定以上の経済力や労働力がないと守れません。
その地域の活性化や文化財を後世に守り残すための経済力を確保するには
政府や自治体のリーダーの見識と手腕によるところが大きいと思います。

Re, : 文化財を守るための経済力

5月5日よりguestになった者 さん

 コメントありがとうございます。確かに文化財保護とは金がかかるものですね。
 以前ある自治体の人とお話したとき、古い建物の補修の話が出て「あまり文化財に金を使うと住民に怒られる」とおっしゃっていました。つまり、経済政策や住民サービスを優先せよということらしいです。こんなことをいうと怒られそうですが、文化材の保護予算には、市民の文化財に対する意識が反影されるといえそうですね。

 何かハンドルネームを作っていただけると嬉しいです。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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