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文化財

死者の城

 7月の出張の余禄はお寺が多くなってしまった。寺院建築にハマると抜け出せなくなりそうなので、以前からほどほどにしようと思っているが、何か面白いものを発見すると時間を忘れて見入ってしまう。和歌山県海南市の長保寺はなかなか見応えのあるお寺であった。

長保寺本堂多宝塔

 長保寺は紀州徳川家の菩提寺で、初代から15代までの藩主と何人かの夫人、また明治以降の16・17代当主も埋葬されている。ただし吉宗と家茂は将軍として江戸城に入ったので、墓所はそれぞれ寛永寺と増上寺。
 近くの高野山には初代~7代までの紀州藩主の墓所と伝えられるものがあるが(こちらも5代吉宗を除く)、長保寺を紀州徳川家の菩提寺と定めたのは初代の頼宣本人だし、高野山に墓があるというのは不思議な気もするが、高野山には家康、秀康、秀忠の霊廟もあるから、徳川家と高野山のつながりに基づく供養塔ということなのだろうか。このあたりの宗教的慣習については無知なのでよく分からない。

長保寺墓所

 徳川家の廟墓といえば日光東照宮に代表される、金ピカ趣味に彩られているものだが、長保寺は全然違っていた。一言でいえば山城、しかも石垣だけを残す荒城の趣。その郭のひとつひとつに墓が建っていて、こりゃ死者の城だと思った次第。武家の墓なら金ピカじゃなくて本来こうあるべきだろと主張しているようにも見えた。
 上の写真は六代藩主徳川宗直(吉宗の従兄弟)の墓所の石段。こんなのが山のあちこちにある。

 長保寺は紀州に徳川家がやってくるはるか以前、平安中期の創建。お寺の資料によると一条天皇の勅願寺で、2011年は一条天皇の1000年忌とのこと(勅願に関する文献資料がなく反対意見があることも説明し、その上で大門の額の裏書きや本尊の祀り方の格式などから、勅願寺説の補強を試みている。歴史の捏造や美化の多い昨今、嬉しい姿勢だなあ)。
 その後の鎌倉後期に寺域が定まり伽藍が整えられ、現在の姿に近いお寺になったという。現在見られる一連の国宝建築はこの時代のもの。中世の寺は宗派にあまり拘りを持っていなかったらしいが、紀州徳川家の菩提寺になった時に天台宗と定められ今日に至っている。長保寺のホームページは資料性が高く読み応えがある。興味がおありの方はご一読を。筆者がつべこべ説明するより面白いしためになる。
長保寺ホームページ

長保寺本尊

 本堂には平安~鎌倉期の釈迦三尊がこともなげに置かれているのだが、特に平安期の作とされる彩色脇侍(左は文殊菩薩・右は普賢菩薩)は小振りながらかなり魅力的。といっても遠くて暗かったので撮影してから詳細が分かったのだけれど。仏像にストロボを当てるのが躊躇われ、望遠長時間露光となってしまいピントが甘い点はご容赦を。

 近世城郭のファンで和歌山城を見に行こうと思っている方は、ひと足を伸ばして長保寺を見学されることをお薦めする。現世御利益にはあまり対応してないらしく境内は上品で静か。お寺を教養豊かと表現するのもおかしな話だが、そんな感じがした。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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