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禁煙法

【今日の日記】



 神奈川県で罰則付きの禁煙法(県条例)が成立した。
 なんとも次元の低い悪法である。それをそうとは思わない所が今の世界の情けなさ。WHOとしては、いずれ煙草を非合法な麻薬とし、次はアルコールということらしい。喫煙制限に一定の勝利を収めた連中は、その矛先を飲酒に向けつつある。
 今の日本の「よき人々」は聖書と斧をトレードマークとした禁酒活動家、キャリー・ネイション女史(キリスト教禁酒婦人連盟の過激派/上写真)のメンタリティに似ていると思う。他者への不寛容と攻撃性が年々増し、そこには宗教的な正義に寄り添い思考を停止させた頑な人間の姿がある。

 もちろん禁煙法は健康を犠牲にしてまで煙草を楽しむ愚かな人間の救済を目指しているわけではない。煙草を吸う馬鹿の権利などどうでもいいのである。煙草の煙が嫌いな人のために、喫煙者から喫煙権を剥奪し、世の中全部を煙草嫌いだけが気持ちよく暮らせる環境にしようという法律だ。そこで用いられる詭弁が受動喫煙の健康被害だ。そりゃ病院や非喫煙者が入室の是非を選択できない場所は禁煙にすればいい。しかし、選択できる場所は違う。極端な話、全員が煙草を吸わなければ入店できないバーがあってもいいはずだ。要は入店する人の自由な選択。煙いのが嫌なら入らなければいいだけ。喫煙者が煙草を吸えないバーに行かないのと同じ。
 嫌煙運動の原動力は、自己の健康に対する漠然とした不安。嫌いな匂いやマナーの悪い個人への憎悪だけである。喫煙者は非喫煙者の健康を害する反社会的な存在であり、非喫煙者の支払った保険料まで食いつぶしていると錯覚させた嫌煙運動家の勝ち誇った笑いが見え隠れして不気味である。
 日本人はWHOの貴族サロンに憧れ、仲間に入れて欲しいのだろうか。

ボルネオ葉巻き
おサルが喫煙してるボルネオの葉巻のパッケージ。嫌煙運動家は喫煙者がサルに見えるに違いない。

 個人経営の店舗の中の些末な事象にまで権力を行使しようとするのが、いかに「危険な思想」であることに気づかないのはあまりにも愚鈍過ぎる。また健康が何よりも優先されるべき正義という思想もマヌケと言うほかない。歴史に文献資料が現れる前から、世界は他者の健康などどうでもいいという論理で動いており、富のために他者の生命を奪う行為も肯定されてきた。それは21世紀になっても何ら変わっていない。嫌煙運動はそうした古典的な勝者の正義の上に成り立っていることを、喫煙者のみならず煙草嫌いの人も自覚すべきだろう。嫌煙運動は少なくとも喫煙者と同じ程度には利己的であり、決して他者の健康と幸福を願う博愛主義から生まれたものとはいえない。


ハバナの葉巻工場で働く女性。見学者を意識して自ら観光資源化しているが、ぶっきらぼうでなかなかいい感じのおばさんであった。キャリーとの対比で掲載した。一応肖像権料を払っているのでこの写真に恋した人も無断ダウンロード禁止(笑)

 今の喫煙はそのほとんどが紙巻き煙草である。紙巻煙草の大量生産と寡占化は豊かな煙草文化を薄っぺらなものにした。全ての問題はここから始まっている。現在の喫煙問題は、安価で何処でも手軽に吸えて、煙と吸い殻をまき散らしてきた紙巻煙草の問題なのである。これはまた近代資本主義の問題でもあるのだ。

 当初、紙巻き煙草は葉巻やパイプなど他の喫煙形式の代用品であり特殊な存在であった。しかし、煙草の葉を紙で撒くという、乱暴で簡便な方法が戦場の兵士の間で流行し、それが平時の下層階級の間にも広がった。
 ゲバラが言ったように極端な緊張を強いられる戦場では「煙草は兵士の友」である。何時殺されるか分からない戦場では、煙草はその害よりストレスを癒す効能の方が重要となる。戦場で煙草を吸う人を見て体に悪いから禁煙しなさいなどと言ったら頭に手を当てられるだろう。しかし現代の嫌煙運動家はそれを言いそうな気がする。
 紙巻煙草はパイプなどの道具を使わず、いつでもどこでも簡単に少量の煙草を短時間吸うのに適している。しかし、自分で巻くのはやはり面倒だし不器用な人もいる。工場で巻いた煙草が売られるようになるのは当然の流れであった。これが産業革命による機械化を背景に、安価な紙巻き済み煙草が大量に売られるようになる。

工場のゲバラ
キューバの葉巻工場には今もゲバラの肖像が。世界一葉巻が似合う人だと思う。

 煙草は習慣性のある嗜好品で、一部の人には拭い難い依存性をもたらす。それを安価に大量生産して普及させれば、こんな美味しい商売はない。かくして紙巻き煙草メーカーは寡占化が進み、英米の巨大な世界企業数社が世界の市場をほぼ独占する状態となった。
 日本は複数の煙草メーカーが併存してた時代に専売制を導入し、国がこのおいしい商売を独占してしまった。後に民営化するが主要株主は政府である。これは決して悪いことばかりではなく、海外の巨大メーカーの進出を防ぎ、価格的に競争力のない日本の煙草農家の保護にもつながった。
 日本たばこはかつて国内の農家を保護するため国産タバコ葉の使用比率を50%に保つといってたが、1980年代の後半からそれを下回る状態が続いているようだ。しかし、それでも国産葉の使用率が高いのは国が関わっているからだろう。いずれにしても日本たばこの情報公開は、嫌煙運動対策のために妨げられている。


煙草の花。この可憐な花をつける植物は人類を魅了してやまないが、最近は憎悪の対象になってしまった。

 嫌煙運動家は巨大紙巻き煙草メーカーを死の商人のようにいうが、垣間見える彼らの意識を知ると、あながち出鱈目な話でもない。彼らは消費者を自分達への忠誠心が高くコントロールしやすい集団と見るようになっていた。彼らは健康ブームの兆候が見られた時、それを利用して売上を伸ばすこともやっている。軽い煙草というものは、中身の薄い煙草を同じ値段で売る一種の水増し、しかも満足度が低いから消費量が増えるという悪質な商法である。特に近年は吸っても吸わなくてもいいような、ほとんど薬効がない煙草に香料をかけたものを売っている。あんなものはすでに煙草とは言い難い。

 世界のメジャー紙巻きメーカーは、企業が巨大になると鈍重になり、力を持ち過ぎると腐敗するという法則の見本となった。紙巻き煙草が社会にかけた迷惑と、薬物としての煙草の問題に正面から向き合う時期を失し、先進国で嫌煙運動というものを引き起こしてしまったのである。
 本来よい煙草というのは、香りが高くニコチンの弛緩と覚醒が同時に味わえるという薬効が十分に期待できるものだ。その価値体系に従って煙草の品種改良や栽培、製品化の技術が進み、愛煙家はよりよい煙草を求めて投資してきたのだ。メジャー紙巻きメーカーはその価値体系を破壊し、消費者の愚かな健康志向に迎合して、社会に臭くて人迷惑なタバコを大量にまき散らした。

ロバイナ自家用
キューバの煙草農家で働く兄チャンが、端切れを集めて自分達が吸う煙草を巻く。細巻き葉巻のサイズのものを新聞紙で巻いていた。1本貰って吸ったらなかなか旨かった。煙草なんて大企業が機械化された工場で作るものではないような気がする。

 喫煙は万民の健康に悪い。だからみんな吸うな。やめようと思いながら吸うなんて馬鹿かよ。でも一部の人にとっては無上の楽しみであり豊かな精神を維持するための行為となる。メーカーはそこんところをはっきり認識して、高くてもいいから美味しい煙草を売ってほしいと思う。そして喫煙者は、煙草嫌いの目に触れない場所で、不要なプレッシャーを感じる事なく豊かな時間を過すことを考えよう。そのためにはまずコミュニティを作ることかも知れない。そうだ、メーカーに頼らず、喫煙者は自らコミュニティを作って自分達のささやかな権利を確保しよう。でないと煙草嫌いに権利を奪われるどころか、基本的人権も危うい社会になってしまうぞ。「日本煙草愛好家協会」本気で作る価値はあるな。
 
葉巻吸う人-1小
ハバナの旧市街の警備員のおっさん。短くなった葉巻をくわえながら町に睨みをきかせてる姿がカッコよかったので「モデルになってくれ」と頼んだら、いきなり新しい葉巻きを取り出して火をつけ「この方がカッコいいだろ」と。

 嫌煙運動家は喫煙者とキスするのは汚れた灰皿をなめるようなものだと若者を脅すが、世の中には決して清潔とはいえない性器や肛門をなめる楽しみもあるのだよ。灰皿ぐらいなんてことないでしょ(笑)
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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