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大坂城と旧日記の転載方法変更のことなど

 古い日記を古い順に並べようと思ったけれど、日付を古くして書き込むとややこしいので、最初に書いた日付けを入れて、適当に上からどんどん書き込むことにした。「旧日記の転載方法変更」といってもただそれだけのことであります。

【2009年1月8日の日記より】

 今回は我が故郷大阪の城の話。大阪にも有名な城がいくつかあるが、大阪の城といえばまず大坂城。「阪」表記が定着したのは築城して大分経ってからのことだというので、カッコつけて古式の「坂」で書いてみる。

 子供の頃、大坂城を見ても「お城とはこんなものか」としか思わなかったけど、大人になって各地の城を回ってみると、大坂城がいかに巨大な城であるかということを思い知った。
 面積では江戸城の方が広いが、大坂城は徳川幕府による近世築城術の集大成ともいうべき城で、外様大名の資産を吐き出させ、江戸城では成し得なかった総石垣の日本史上最高の城である。これは大阪出身者の地元贔屓ではなくて、多くの城郭研究者の一致した意見だろう。多分。
 ただし、自分の好き嫌いでいうと、地元だから嫌いじゃないけど特に好きな城というわけではない。ちょっと立派過ぎて自分の趣味と物差しに合わないのだ。

大坂城京橋口方向

 中世から近世にかけて、大坂城は3回作り替えられている。初代は石山本願寺という浄土真宗の寺院。建設当初はただのお寺だったらしいが、16世紀の前半から山科本願寺との勢力争いや、武士権力との闘争を通じて軍事要塞化し、ついには織田軍団の攻撃を跳ね返すほどの大城郭となった。

 そして16世紀末、天下を掌握した豊臣秀吉が、本願寺大坂城の跡地に絢爛豪華な2代目大坂城を建てたが、これは徳川家康の計略で落城する。

豊臣大坂城
上は落城寸前の2代目大坂城を描いた「大坂夏の陣図屏風」。豊臣大坂城の天守は黒い壁に金の装飾という派手な姿であった。

 徳川幕府は豊臣大坂城の焼け残った部分まで徹底的に破壊し、その上に大量の土を被せて3代目大坂城を新築した。そこまでやった理由は大坂の地から豊臣の威光を払拭するためである。だから、今の大坂城とその周辺の土地を掘ると、2代目大阪城の石垣や掘が現れ、それは現在見られる大坂城とはかなり違った姿をしている。

 しかし近代に入ると、今度は明治政府が徳川の影響力を払拭するために豊臣氏の復権を図り、大坂城は豊臣の城というイメージが強められた。現在の大阪市民にもこの影響が残っていて、市民の多くが今も大坂城は豊臣の城だと思っている。

 徳川大坂城の天守は17世紀に落雷で焼け、以後再建されることはなかった。今ある豪華な天守は大阪市民が昭和の初めに150万円を出して建てたものだ。鉄筋コンクリートの歴史的根拠のない模擬建造物だが、築80年近くにもなるし、各地の模擬天守の先鞭を付けたという意味でも、これはこれで歴史遺産といえるかも知れない(取り壊しが決まった歌舞伎座と同じ国の「登録有形文化財」)。天守を城のシンボルとするなら、この市民大坂城が4代目の大坂城ということになる。

大坂城模擬天主

 幕末、大坂城には征夷大将軍の徳川慶喜と幕府の軍勢がいたが、倒幕軍が迫ると大将が愛人とスタコラ逃げ出したので不戦敗となり、混乱のうちに火をかけられ主要な建物は燃えてしまった。
 それでも戦前までは櫓や門がけっこう残っていて、昔の写真を見るとなかなかカッコイイ。しかしそれらも、昭和20年の空襲で失われ、城内には機銃掃射の弾痕やら、爆弾でずれたり焦げたりした石垣が残っている。
 空襲を免れた建物は、門と蔵がそれぞれ2つ、櫓が5つ。いずれも重文に指定されている。幸い市民の模擬天守も残った。

 大阪出身者としては、大阪の市民や企業が金を出し合って天守を上げたというのは誇りでもあるのだが、無い物ねだりな希望をいえば、架空の天守ではなく、本来そこにあった徳川時代の天守に建て替えて欲しい。できれば愛媛県の大洲城みたいに本格的な木造で。でも太閤贔屓の大阪市民は家康が大嫌いだから、徳川天守だというと前のように寄付は集らないな。

乾櫓01
これは現存最古の乾櫓(1620年代)

乾櫓02
そして同じ建物の明治期の姿。奥に見える多聞櫓や三層櫓は空襲で焼失。

天守外E
 平成9年、バリアフリーということで天守の外にエレベーターが設置され、模擬天守はちょっとおかしな姿になった。そもそも城とはバリアなのだから、それをフリーにするということは自から「これは城なんかじゃなくて城っぽい形をした博物館ですよ」と認めたことになる。
 でも展示内容は私の子供の頃に比べかなり充実している。特に大坂夏の陣図屏風を収蔵しているのはエライ。昔は展示がスカスカで、余ったスペースをイベントに貸してたもんなあ。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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