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文化財

瓦大好き

 新幹線で東から西に移動すると、中部あたりから少しずつ景色に落ち着きと潤いを感じる。
 主な理由は生まれ育った地方に近づくためだが、視覚的に何が違うのかというと、民家の屋根の風合。西に行くほど黒い瓦の含有率が上がるのだ。
 もちろん、きちんとカウントした訳ではないし、年々その傾向は薄まりつつあるが、まだそれと分かる。
 10代の頃から年に何度も行き来しつつ、ずっと感じてきたことなので、いつの頃からか、建物を見ると屋根の色や材質が気になるようになってしまった。

 というわけで、先日(2008年12月)の北陸旅行で前から見たかった丸岡城天守の凝灰岩の瓦屋根を見て来た。濡れると青緑色がかって美しいというが、当日は乾いていて古代の土瓦のような灰褐色だった。
 でもそばで見ると、素朴な加工痕があっていい雰囲気。 なでなでしてきた。
 寒冷地なので通常の瓦だと凍結時に割れるから石が採用されたという。表面がザラザラしていて多孔質に見えるが水は滲み込まないようだ。
丸岡石瓦

 丸岡城の天守は16世紀末から17世紀初頭の建築とされ、北陸では唯一の現存城郭建築であったが、1948年の福井地震で倒壊し、現在見られるものは1955年、倒壊した部材を再度組み立てて復元したもの。
丸岡城

 戦前の国宝保存法で国宝に指定されていたが、倒壊と再建を経て、戦後の文化財保護法で重要文化財に指定された。
 地震がなければ国宝の称号をそのまま使えたのかもしれないが、国宝と普通の重要文化財の最大の差は、所有者が投げ出しても国が管理するかどうかだと思うので、地元民と丸岡町が大切な宝物と感じ、すでに修理を含む維持管理に努力しているのだから、肩書きはどちらでもいいと思う。
 重要文化財の指定書には、石製本瓦葺と明記されている。
丸岡指定証

 あと、鉛や錫で葺かれた古い屋根にも魅かれる。もう一つの写真は五月に行った仙巌園(鹿児島)の門に使われていた錫瓦。 この時代の建物には錫や鉛といった白っぽい金属の瓦も多い。主な理由はやはり凍結による破損防止だが、仙巌園は温暖な地にあるから装飾的意味合いが大きい。
錫瓦

 最後は臼杵城の発掘で出土した天守付近の瓦。撮ったのは今年(2008年)の6月。本丸の北西部だったかな。写真の整理が悪いので自信なし(笑)。
臼杵出土瓦
 発掘といってもそれほど古い物を掘り出した訳ではなく、この瓦は明治の廃城令で解体した建築物のものだ。瓦は丁寧に解体すれば再利用が可能で、他所では廃材とともに周辺の建物に使われた例も多い。臼杵は明治の強国薩摩に気を使って大急ぎで壊して埋めたのだろうか。
 臼杵城は有名な戦国キリシタン大名の大友宗麟によって築かれたが、その後城主が福原氏、太田氏と代わり、関ヶ原の後は稲葉貞通が入りその子孫が明治維新まで管理した。この瓦は稲葉氏が行った明暦の大改築以後の瓦と思われる。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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