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週刊誌のヨタ記事から

 ネット版の週刊ポストの記事にこんなのがあった。
 福島近郊のSAで福島の銘菓、野菜、米など大量に捨てられる

 内容は、福島に帰省または旅行に行った人が、もらったお土産の菓子や農産物を、帰り道の高速PAのゴミ箱に捨てて行くと言う話である。
 サービスエリアの清掃担当者から取材したということだが、その信憑性は不明だし、量的なことも分からない。記者自身がゴミを確認したわけでもない。要するに俗情を煽るための、ありふれたヨタ記事の一つである。

 早速この記事への意見がソーシャルメディアに多数投稿されはじめた(Twiterはリツイートを含め1分間に10本以上ペースで投稿があり、恐らく万単位の数になるだろう。MIXIは1時間当たり150本以上のペースで、これを書いてる時点ですでに2500本を越えた)。記事への批判や捨てた人に同情する声もあるが、筆者が目を通した範囲では捨てた人を非難する意見が目立った。

 お土産を途中で捨てるというのは、いかにもありそうな話である。お土産の農産物や菓子を渡してくれた人に「放射性物質が心配なので遠慮します」と言える人はいないであろう。たとえ安全だといわれても、これまでの行政の対応を考えると信用などできない。家で捨てればいいのだが、その辺は昨今の公衆道徳の欠如というか、家にゴミを持ち込まずPAで捨ててしまう人もいそうである。

 こうした問題の責任は全て、事故以後、効果的な対策が立てられず、ウソや誤摩化しで市民の消費動向を操作しようとしてきた国や自治体にある。
 今更福島の食品が安全であるといっても、心から信用する人などいないだろう。仕方なく食べなければならない人が横目で見て気休めにする程度だと思う。
 筆者はガンになっても原発事故との因果関係がよく分からない年齢なので何でも食べるようにしているが、国や県のいう安全など全く信用していない。

 生産者に申し上げたいのは、こんなヨタ記事など無視して、信用を再構築することを考えて欲しいということだ。
 消費者は人として被害に遭った生産者に同情はするが、たとえ健康被害が出ない水準であっても、放射性物質が入っている、またはその可能性がある食品は食べたくないと考えている。

 それは無農薬野菜が割高でも売れたことを考えればわかる。農薬をふんだんに使った野菜でも、残留農薬の量が規制値を越えていなければ安全な食品ということになるが、消費者はそれを体に悪いと感じ、無農薬や低農薬のものを求めてきた。また生産者もそれに応えることで、生産物の付加価値を高めようとしてきたはずだ。

 放射能汚染はゼロではないが、安全基準を大幅に下回っているから食えというのは、これまで無農薬でやってきた畑に農薬を撒き、それでも残留農薬は基準値を大幅に下回っているから、今までの無農薬野菜と同じように食ってくれというのと同じなのだ。これでは消費者の心は福島からどんどん離れていく。

 こんな頭の悪そうなヨタ記事で、消費者と生産者が直接いがみ合うことはないだろうが、福島に最大限の同情を示しながら、自分の子供には福島からできるだけ遠い場所で採れたものを食べさせたいと思うのが消費者である。誰もそれを責めることはできない。そのことを分かった上で、何をすればよいかを考えれば、答えを見いだせるのではないだろうか。

 筆者の答えはシンプルである。生産物は全て放射性物質の検査を実施し(もちろん全量ではなくトレーサビリティを確立した上での統計的手法に基づく部分検査)、それを継続的に製品に添付し続け、間違っても安全宣言のような馬鹿げた花火をあげないことだ。地道な正攻法しかないと思っている。

 今後も汚染状態は続くし、ロシアの例からみて何年後かに医療的な問題が持ち上がることがあるかもしれない。信用を失った行政がそれを誤摩化すことは不可能である。原発事故との因果関係が明らかにされなくても、福島市の若者の癌発生率が1パーセントあがったらしいというだけで、今よりもっと過激な拒絶反応が起きるだろう。

 何度もいうが、消費者に対し「基準を大幅に下回る安全なレベルなので、安心して食べて欲しい」なんて話は通用しない。消費者の希望は汚染ゼロであって、それ以外は生産者や行政から嫌なことを「強要」されていると感じるのだ。今はほかの地方の産物も選択できるのだから尚更。それを忘れたら消費者離れが加速するだけだ。

 福島の人はどんなに悲しくても、涙をのんでお土産捨てた人に寛大になって欲しいと思う。福島に近づかない人もたくさんいるなかで、少なくとも福島の地を踏み、食事をした人々なのだから。
 次回は放射能検査済みというシールでも貼ったお土産で勝負して欲しい。

 筆者は今年、郡山経由で会津城の赤瓦を撮影に行くが、メヒコでカニピラフを食べ、ママドールをお土産にするつもりである。
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Comment

No Title

こういう記事って誰のためにもならないよね。
実際にそれが目に余る量なのかどうか確認して
記事にしたとしても捨てる人の道徳観を批判
するのか、福島の産物の安全性を話題に
したいのか、結局嫌な気分を煽るだけだし。
食べ物の安全性は個人の考え方によっても
異なるし、(農薬も、放射能も賞味期限も)
風評に惑わされずに選んでいきたいと思う。

Re: No Title

> こういう記事って誰のためにもならないよね。

まったくその通りです。
書いたライターは、ネットでの反応がよかったので今頃したり顔でしょうし、
小学館の担当編集者も、同じく喜んでいるでしょう。

しかし、彼ら以外にこれが役に立った人はいません。
どの立場の人も不愉快な感情を抱いたでしょうね。
(それがネットの投稿数に反影されている)

彼らは、それほど深い読みがあってこの記事を掲載したのではないでしょう。
一言でいえば、負け犬の遠吠えに近いものがあります。

3.11以来、誰もがメディアに注目せざるを得なかったのですが、
その中で、週刊ポストの小学館は完全に馬脚を現してしまいました。
大手版元でよくがんばっていたのは週刊現代の講談社でした。

ポストのベースにあったのは原発権力へのスリ寄りで、当初は原発推進派の論調でした。
そして、事故の実態が明らかになるにつれ、自己矛盾が見られるようになり
ついに、原発や東電の批判を始めたのですが、完全に腰が引けていて
国会で与党の議員が、政府批判らしいこといって質問を始めるあの気持ち悪さがありました。

事故についての大勢は決まりましたが、
小学館は、市民運動や原発反対の科学者の言動が気に入らないらしく
何か言いたくて仕方がない。でも推進派の論理はすでに崩壊している。
そこで、こうした市民感情を逆撫でするようなヨタ記事を作って
遠くの方から、市民運動や学者に対し
「危険を煽るエセ学者や市民団体などは、それでもまだ被災者をイジメ続けるのか。」
などといってみたのでしょう。全く筋違いな批判ですけどね。

ポストは放射能汚染に振り回された「福島の可哀想な人達」を記事にして
それがあたかも、放射能の危険性に警鐘を鳴らしている人達の
せいにしたいようですね(笑)

これが、子供向けの良書をたくさん作ってきた名門一族会社の
今の姿ということでしょうか。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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