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千葉城は城郭コスプレである

 先月、誤解を招くかもしれないお城と題して、自治体が史実に反する城を建設する話を書いた。今回はその続き。「城郭コスプレ」という筆者の造語については、最後に説明させていただく。

 千葉市の中心部、千葉県庁や中央区役所のあるエリアに、千葉城と呼ばれている城郭風の建物がある。かつて千葉にこんな城があったと思う人がいるかも知れないが、これは1967年に、千葉市が歴史とは無関係に作った観光施設である。

 竣工当時は「千葉市郷土館」という名称で観光課が運営していたが、1979年、市役所の組織改編で文化課に移管。1983年からは「千葉市立郷土博物館」に改称された。
 現在は生涯学習振興課の所管となって、一部が貸しホール状態になっているが、3階の坂東の名門千葉一族に関する展示は充実していて素晴らしい。他所に同じテーマの資料館がないだけに歴史ファンは必見。筆者はとても勉強になった。

s千葉城

 日本には町の中心にお城が欲しいと思う人が多いらしく、各地で天守の再建があいついだ。それについては、以前にも書いたと思うが、木下直之著「私の城下町―天守閣からみえる戦後の日本」に詳しい。お城が好きな日本人への愛に満ちた名著である。

s私の城下町

 千葉城に行くと、千葉市がまるで城下町であるかのような説明がなされているが、残念ながら千葉市は城下町ではない。千葉氏が千葉市あたりに館を構え、町を造ったらしいというのは中世の話であり、千葉氏が滅んだあと何百年間も、城のない農漁村としての歴史が続くのである。
 地域の教育も任されている自治体が、こうした怪しいイメージ造りに加担しない方がいいと思うのだが、これは日本人の歴史的願望の一つであるらしく、似たようなことは日本各地で行われている。

s千葉城2

 左下に見える騎馬像は、千葉市を含む下総一帯を支配した千葉常胤で、比較的最近(2001年)設置されたもの。常胤は平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した人物で、平氏の傍流ではあるが、石橋山の合戦に敗れた源頼朝を助け、鎌倉幕府の成立に貢献した名将である。

 千葉氏の館があった場所は特定されていないし、こんな姿の城が造られるようになったのは、常胤が没して400年ぐらい後だから、千葉常胤像と千葉城は無関係といってよい(そもそも架空の建物だから実在の人物との関係を云々しても無意味なのだが)。

s千葉胤宣

 なぜか千葉常胤の像は千葉城に弓を向けているが、それは「千葉市民よ、こんな模擬城でお茶を濁さず、もっと千葉の歴史に目を向けよ」と怒っている姿を表しているのだろう。

 常胤の子孫は室町時代に入ると分裂し、名門の一族でありながら有力な戦国大名にはなれず、秀吉が天下を統一する頃には、他の地方に転出した分家を除いて滅亡した。

 江戸時代の千葉市あたりは、徳川将軍が東金の狩り場に行く「御成道(おなりみち)」というような位置付けだったらしく、細かく分割されて幕府の役人や譜代の小領主が管理する地域となっていた。
 現代の千葉県でも東京都に隣接するエリアは、「千葉都民」という言葉が示すように、住民に千葉アイデンティティーが希薄だし、自治体そのものが自らを「新都心」などと称し、東京が千葉側にはみ出して、千葉が東京と一体化することを望んでいるようなところがある。それは地域文化のありようとして悲しい姿ではあるが、江戸時代からそんな傾向があったといえるかもしれない。

s小田原城
小田原城の天守

 ところで、千葉城のスタイルは、長押形(なげしがた/外壁に突出させた横方向の飾り)がある白漆喰の天守で、昭和35年に復元された宝永時代(18世紀初頭)の小田原城の天守によく似ている。
 小田原城天守は、資料も豊富にあったため、鉄筋コンクリート造りながら外観は正確に再現されたというが、展望台としての機能を優先したため、最上階の姿はオリジナルと大きく異なっている。千葉城はその部分も含めて今の小田原城天守と似ているのだ。

 長押形のあるカッコイイ城郭建築いくつかあげて見よう。

s江戸城伏見櫓
東京都江戸城伏見櫓 17世紀初頭 徳川家康の3代目伏見城より移築(伝) 現在のものは近代の再建

s福山城伏見櫓
広島県福山城伏見櫓 17世紀初頭 徳川家康の3代目伏見城より移築。現存オリジナル

s江戸城巽櫓
東京都江戸城巽櫓 17世紀前半 徳川秀忠 現在のものは近代の再建

s高松城月見櫓
香川県高松城月見櫓 長押を黒塗りにして強調。17世紀後半 松平頼常(水戸光圀の甥) 現存オリジナル

江戸城富士見櫓
先日の日記にも掲載した江戸城富士見櫓。17世紀中頃。火災で焼失したものを徳川家綱が再建。

 このように並べてみて分かるのは、長押形のある白亜の城は、徳川将軍かそれに近い者の城ということである。ちなみに近世の小田原城は老中を務めた大久保忠増によって建てられ、伏見櫓を移築した福山城主は水野勝成(徳川家康の従兄弟)であった。
 つまり千葉城は、江戸時代の最も格の高い城を真似てデザインされたというわけである。本来無いものを勝手に作るのだから、どんな姿にしようと勝手だが、結果として江戸幕府の権威に寄り添う形になってしまったのは、千葉市が新都心などと首都の一部になろうとする姿に似て皮肉である。

 もし、戦国時代の千葉氏の城にしたければ、その立場と時代からして、北条氏の支城をモデルにするのがよいと思われる。
 そんな城の再現を試みたのが茨城県坂東市の逆井城である。北条に限らず戦国時代の城は、どこも大抵こんな姿をしていたと考えられている。
 石垣ではなく土塁の上に建てられた板壁の望楼で、最上階のバルコニーは観光用のオマケであろう。隣国との小競り合いが耐えない時代の実戦的な城であるから、こんな呑気な付属物を付けるとは考えにくい。こんな目立つ場所をうろうろしてたら、堀の向こうから強弓で狙い撃ちだ。

s逆井城
逆井城の再現建築

 でも千葉城が立替えられることはないだろう。2001年、千葉市は大金をかけて耐震建築に改修したのだ。説明によると、建物をバネの上に載せ、地震のエネルギーが伝わらないようにしてあるらしい。

s千葉城免震構造

 先日千葉城を訪れたとき、戦国コスプレの若者達が千葉城をバックに互いの写真を撮りあっていた。
 戦国コスプレとは、戦国時代の装束を身につけるのではなく(言葉の定義的にはそれも含まれるが)、史実など無視して、自分が一番カッコイイと思う衣装を創作し、それを着て人に見せて楽しむ趣味だ。デザインのイメージには、中国やヨーロッパの甲冑や武器も取り入れられる。その熱意はなかなかのもので、見れば「へぇ、よくできてるじゃん」という言葉が自然に出るだろう。
 千葉城もその成り立ちからして、建物の戦国コスプレといえる。だから、こうしたコスプレ大会の会場というのが、一番マッチした使い方なのかもしれない。
s千葉城コスプレ

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Comment

あなた埼玉人でしょう?(笑)

>千葉城に行くと、千葉市がまるで城下町であるかのような説明がなされているが、残念ながら千葉市は城下町ではない。千葉氏が千葉市あたりに館を構え、町を造ったらしいというのは中世の話であり、千葉氏が滅んだあと何百年間も、城のない農漁村としての歴史が続くのである。

↑文章が滅茶苦茶
城下町なのに城下町ではないと言っているのに気がついてます??
間が空こうが千年前だろうが100年前だろうが関係ないでしょ・・・

Re; あなた埼玉人でしょう?(笑)

 せっかくのご指摘ですが間違っています。文章の読み方も、歴史認識も。

>間が空こうが千年前だろうが100年前だろうが関係ないでしょ

 それが大いに関係があるのです。

 まず城下町の定義ですが、ご承知のように城下町というのは領主が政庁を置く城や陣屋の廻りにできた町のことです。
 中世以前から荘園領主などの館の周辺に集落ができ、人が集まることはありましたが未発達で、今でいう城下町という観念でくくれるものはまだありません。千葉氏の館もそうした荘園領主の館です。普通は荘園領主の館を城といったり、その周りの集落を城下町といったりはしません。城下という言葉や観念が出来たのは、中世の末から近世初頭で、城下町は織豊時代から急速に初達します。
 百歩譲って千葉氏の館の周囲に出来た集落を城下町だとしても、領主がいなくなれば自立性のある商業都市でもない限り、城下町も立ち行かなくなって消滅するのが普通です。その後の千葉市あたりにできたのは農民や漁民が住む村です。それが何百年も続きます。農漁村は城下町ではありませんね。成立要因も統治体制も全く違っています。

 昔あって消滅したものを、今もあるといったら嘘になります。例えば、7〜10世紀にかけて柵城と呼ばれる大きな城が各地にあり、周囲には町もありました。しかし、多くは消滅して農村になりました。そんな村を城下町と呼ぶ人はいません。おっしゃるように千年前でも同じなら、柵城の遺構がある町村は今も全部城下町ということになります。でもそうはなっていません。かつて立派な柵城があり町の名前にまで城がつく多賀城市でも、城下町には区分されません。

 江戸時代の千葉市は、大部分が佐倉藩が領有する農村です。廃藩置県で印旛県と木更津県というのができ、その後両県が合併して千葉県ができました。千葉市はそのときに県庁がおかれたために発達した町です。こういうのを普通城下町とはいいませんよね。

ちなみに私は埼玉県民ではありません(笑)

なるほど

千葉県民です。

なるほど! 千葉市街が城下町っぽいのは、城の隣の県庁の「城下」だったのですね。
確かに古いお寺があったり、花街の名残ごあったりはしますが「○○家住宅」のような武家屋敷や、城下町特有の町名はないですね。
(空襲で焼け野原になったとはいえ)

中世以降も廃城とならずに砦として使用されていたという説もあり、ローカルな地元もなかなか奥が深いかも?
郷土館は……何も言うまい。コスプレ名所で町おこしかな。

Re: なるほど。

コメントありがとうございます。

>中世以降も廃城とならずに砦として使用されていたという説もあり、ローカルな地元もなかなか奥が深いかも?

 いいですね、地域の詳細な歴史探訪。千葉氏がいなくなったあとも屋敷や砦があったと思います。戦国大名の寡占化で、それがどう変わり、近世の幕藩体制下でどうなったのか。とても興味があります。そして新しい県令を迎えてから現代の発展まで。それらすべてが本当の千葉城史なんでしょうね。

No title

一般的な「お城」がなくても、お館様が常駐する館はあったと思う。
はっきり言って「館」を再現した方が良かったなと思っています。
適当に造った「お城」よりもね。

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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
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