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福知山城に深井戸がある理由

 水と食糧がなければ長く戦えないので、城には必ず水場があり、多くの城が複数の井戸を持つ。深い穴が人の好奇心を刺激するのか、城の井戸には謎や伝説が付きものだ。

 先日紹介した福知山城の本丸にも「豊磐井/とよいわのいど」という有名な井戸がある。なぜ有名かというと、とにかく深くて水量が豊富なのだ。井戸の口は標高40数メートル位置にあるのに、穴の深さは50mもあって、底はすぐそばを流れる由良川の川底より低く、その由良川が注ぎ込む日本海の海面よりさらに下にあるのだ。城の内にある井戸では日本一深いという。

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豊磐井の石造り井桁


福知山井戸
数値地図(福知山西部)や、西ケ谷恭弘「名城の日本地図(文春新書)」などを参考に作図

 この井戸の水深は30m以上あるという。井戸の標高がもう少し低ければ、水が地表に吹き出すような水脈に達しているのだろう。こうした城内の深い井戸には抜け穴伝説があるものだが、こんなにたくさん水があっては危険だし使いづらいから、抜け穴を作るなら別に掘ったほうがよさそうだ。

 この井戸のことを知ったとき、川のそばの低い丘なのに、なんでこんなに深い井戸を掘る必要があったのだろうかと思った。ここまで掘らなくても水が出そうなものだし、深く掘り進む過程で水が大量に出るだろうから、排水しながらの掘削となる。そんな難工事をやりとげるからにはそれだけの理由があったはずだ。

 その答えを探しているうちに、福知山城と城下町を建設するとき、由良川と土師川の流れが大きく変えられ、山から舌状に突き出した丘も分断して堀が作られた作ったことを、遅まきながら知った。
福知山城山上門跡発掘調査現地説明会資料/福知山市教育委員会
福知山城石垣発掘調査現地説明会資料/福知山市教育委員会
 こうした大規模な土木工事が、城の周りの地下水に影響を及ぼしたのではないだろうか。その結果、すでにあった井戸が涸れたとか、掘っても掘っても満足に水が出なかったと考えると、この深い井戸に合理性が感じられる。

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三国名勝図絵(薩摩)に描かれた笠野原台地における深井戸の水汲み風景。牛が釣瓶のロープを曵く。

 日本の深井戸では、南九州のシラス台地の井戸が有名だ。江戸時代後期に掘られた深さ60mの井戸が今も残されており、かつては深さ80mクラスもあったという。
 シラス台地にも城があったので、城主達は水の確保に苦労したであろう。保水力の小さい火山灰が厚く体積した地層だから、水は井戸の深い所にしかなく、長いロープを牛に曵かせて水汲みをしていた。その点福知山城の豊磐井は、水深が30m以上もあるので人力で簡単に水が汲めたはずだ。

追記

 中世までの福知山は暴れる由良川に酷く苦しめられており、城や城下町の整備において、由良川に堤防を築いて流れを変えるなどの治水対策は最重要課題となっていた。統治した期間が短いにも関わらず、明智光秀が福知山で敬愛されているのは、その知名度だけでなく、治水に成功したことが大きい。
 上記の大規模な土木工事も、自然破壊の類ではなく、住民の悲願でもあったことを付け加えておきたい。
福知山光秀
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Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
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1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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