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石垣のお楽しみ/大阪城の巨石

 鏡石の記事で巨石なら大阪城と書いた。とにかく大阪城の巨石コレクションはすごい。それは鏡石がどうのというようなレベルではなく、石垣という言葉の定義からはみ出していると思う。

s大阪城多聞櫓
 これは大阪城の大手門の内側。写真が小さいので分かりにくいが、人と石の大きさを較べていただきたい。巨大な門の石垣をたった2段で積んでいる。このクラスの石なら1個で50~80トンはありそうだ。
 比較していただくため、下にほぼ同じ規格の江戸城大手門の写真を貼った。こちらは四角い石を6~7段に積んである。全国的に見ればこれでも大きい石を使っている方だ。
s江戸城大手門多聞櫓

 驚くのはまだ早い。大阪城にはもっと大きな石がゴロゴロある。
s大阪城大手枡形巨石
 これは「見付石」と名付けられた巨石で、大手門の枡形の内面にある。表面の広さが29畳敷きで推定重量が108トン。大阪城の石の中では4番目に大きいという。そしてこの石の左右にも、同じぐらいの石が並んでいるのだ。
s大阪城見付石左右3連発

 下は本丸にある有名な「蛸石」。左の方にタコが寝ているようなシミがあるのでそう呼ばれているらしい。表面積が大阪城内で一番広く36畳敷き。推定重量は130トンといわれていたが、調査で予想より厚みがないことが分かり、もう少し軽いといわれている。また、この写真では見えにくいが、縦に積んだ方形の石の向こうに「振り袖石」という33畳敷きで推定重量120トンの巨石がある。人力だけでこれらの石を運び、面を整え、所定の位置に並べていったのだから恐れ入る。
s大阪城本丸枡形蛸石

 下は大阪城の北西にある出入り口「京橋口」。空襲で石垣の上の建物は失われてしまったが、ここにも多くの巨石が置かれている。観光客の大半が大手門から入るので、京橋口の巨石群は意外に知られていない。
s大阪城京橋口巨石群
 京橋口を代表する巨石が下の「肥後石」である。広さ33畳敷きで推定重量120トン。大阪城内では2番目に大きい石とされている。肥後石の名は、肥後(熊本)の加藤清正が置いたからだといわれている。しかし、これも名古屋城の「清正石」と同じで、清正の豪快なイメージから生まれた伝説である。実際に京橋口の工事を担当したのは備前(岡山)領主、池田忠雄であった。
 京橋口の巨石に傷みが見られるのは、アメリカ軍の空襲で、石の上に並んでいた建物が全て焼け落ちたからである。大阪城にはそうした対米戦争の傷痕が随所に見られる。
s大阪城京橋口枡形肥後石

 大阪城といえば豊臣秀吉のイメージがあり、地元にも「大阪城は太閤さんの城」と思っている人が意外に多いが、今見られる大阪城は、徳川秀忠が1620年、全国の大名に号令して建てさせた徳川の城である。
 秀忠は豊臣の影響力を一掃し、西日本に徳川の力と権威を知らしめるため、豊臣大阪城の上に、より大きな徳川大阪城を築くことにした。秀忠は普請奉行の藤堂高虎に「いっとくけど、堀も石垣も豊臣の2倍でなきゃダメだからね」と念を押したらしい。
 既にある城跡に新しい城を築く時は、古い城の土台を利用するのが普通だが、藤堂高虎は2倍を実現するために、豊臣大阪城の上に何メートルも土をかぶせて更地にするという、なんとも大胆なプランを採用した。だから大阪城では地面を深く掘らなければ豊臣時代の遺構を目にすることはできない。

 下は本丸部分の地層断面図。石山本願寺のあった石山に盛り土をして豊臣大阪城が造られ、さらにその上に土を被せて、巨大な徳川大阪城が築かれている。このため豊臣大阪城と徳川大阪城は石垣や堀の配置が違っている。
s大阪城本丸断面
岡本良一「大阪城(岩波書店)」等を参考に筆者が適当に作図

 徳川大阪城は、日本の築城技術の集大成といえる大城郭で、江戸城、駿府城、名古屋城などで培われた技術と経験をさらにパワーアップし、「徳川の城が一番強い」ということを具現化するために作られている。
 建設には、外様大名の財力を消耗させるという目的もあったので、工事現場を細かく分割し、担当大名を決めて競争をさせるという方法がとられた。
 古くから優れた石工集団がいた西日本の大名にとって、石垣建設は得意分野であった。しかも大阪は良質な花崗岩が採れる瀬戸内地方に近い。大名達は競って巨石を切り出し、お祭り騒ぎで大阪に運び込んでは、その存在をアピールした。その結果が、今日見られる巨石群である。また、普通サイズの石を積んだ壮大な外周石垣も、強固で美しい仕上りとなっている。
s大阪城連続櫓
石垣下部が白いのは、水堀の水位が下がったため。石の種類に上下で違いはない。

 徳川幕府の本拠地である江戸城は、石の産地から遠いこともあって、全ての場所に高い石垣を築くことができず、土塁との併用になっているが、大阪城は全てが石造りであることはもちろん、良材を贅沢に使っている。例えば普通サイズの石でも、奥行きを長くとって安定性を向上させたり、石垣の角を形作る上で重要な算木積みも、同じ大きさに整形した石をダブル、トリプルと積んで強度と美観を向上させている。
s江戸大阪算木積み比較
江戸城北桔梗門西角の算木積み(左)と、大阪城六番櫓の算木積み(右)
s江戸城土塁
江戸城の土塁部。江戸城の方が穏やかな印象を受けるのは土塁の存在と石垣が低いことによる。

 徳川大阪城は難攻不落のはずであったが、実は二度落城している。
 一度目は幕末。籠城した徳川軍の総大将徳川慶喜が、戦う事なく江戸に逃亡したので、城内は混乱に陥り、建物に火がかけられたあげく、薩長軍の占領するところとなった。
 二度目は1945年の米軍による大空襲である。このとき5基の櫓を失い、辛うじて残った建物も損傷が激しく、崩れた石垣もあった。大阪城が攻撃された理由は、本丸に陸軍の師団司令部、外郭に兵器工場などがあったからで、同じ敗戦国でもドイツは空襲に備えて、早くから工場の疎開や地下施設化を進めていたが、大阪は終戦まで(最後の爆撃は終戦の前日8月14日)上空からのよい目印となる大阪城にあった(米軍は都市の住宅を目標にした爆撃も行っているから、もし陸軍がいなくても被災はしたであろうが)。
 1945年の大阪城炎上のことは、またいずれ。

追記 大阪と大坂の表記について

 歴史や城郭の本などでは「大阪城」を「大坂城」と「つちへん」のサカで表記されていることが多い。これは大阪城が造られ城として機能した時代にはそう表記されていたからだ。
 大阪に都(難波宮=大阪城の隣に宮殿があった)があった7世紀には、付近の地名を「烏瑳箇(ヲサカ)」と呼んだという。ヲサカが大坂と書かれるようになり、それが文献資料に頻繁に登場するようになるのは、15世紀末に浄土真宗の高僧蓮如が、石山本願寺や大阪城の基となる石山御坊を建ててからとされ、以後幕末まで大阪は大坂と表記されてきた。
 坂から阪に変わった経緯ははっきりしないが、幕末に「坂は土に反る(返る)と書くので城として縁起が悪い」といった者がおり、それで丘を意味する「こざとへん」の阪を使うようになったなど、もっともらしい説がいくつかある。いずれにしても、近代以降は大阪が一般的になった。
 現在大阪市では大阪城一帯の施設を「大阪城~」と表記しており、また、天守を管理運営する法人「大阪城天守閣」も「大阪城」と表記している。
 筆者としてはどっちらでもよかったのだが、ネットの検索入力では、大坂城より大阪城の方がはるかに多いようなので、多くの方に読まれたいというスケベ根性で「阪」を使うことにした。

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Comment

大阪城

大阪城の石垣は凄いですよねー
鏡石ばりの巨石がそこらじゅうにあります
つい先週訪城したんですが、あの石垣と堀のスケールの大きさは何度みても感動もんです

Re; 大阪城

とうとうみそじださん

コメントありがとうございます。徳川氏が最も力を入れたのは大阪城といえるかもしれませんね。

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Re: No title

お読みいただきありがとうございました。
大阪城の石垣にはいつも圧倒されます。
世界的にも希有な石垣だと思います。
記事の中で何か少しでもお役に立てる部分がありましたら嬉しいです。

大阪城の巨石に感動し 翌日こちらに参りました 

子供の時は素通りしていた大阪城の石垣も 数十年経った今回は圧倒され感動いたしました。 そして誰がどのようにして切り出し運び設置したのか 気になりこちらに参りました。 また石垣も各藩が持ち場を競い合って構築していたのではっと思うと見ていて飽きませんでした。  

おかひろさんへ

お読みいただきありがとうございます。
 私も子供の頃は意味がよくわからず、親に連れて行ってもらっても、できれば大阪城より遊園地に行きたいと思っていました(笑)。

興味深く拝見させていただきました。

3月に大坂城見学に行きます。
石垣が大きいとか130トンとか言われていてもピンとこなかったのですが、江戸城との比較、写真付きのわかりやすい解説でよく理解できました。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

タロちゃんさま

返信が遅れすみませんでした。
お褒めのコメントありがとうございます。
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Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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