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石垣のお楽しみ/不謹慎だが崩壊現場は必見

 レベルの高い技術者が積んだ石垣の寿命は、何事もなければ半永久的。しかし長い歴史の中で必ずこの「何事」かが起きるのである。それは地震であり、洪水であり、樹木の繁茂であったりする。
 だから、石垣というのは補修や増改築がつきもので、どの石垣がどの時期に積まれ、どう補修されたかということを見るのも、石垣趣味(そんな趣味があるかどうか知らないが)の楽しみの一つである。
 そして、石垣の管理者や地元住民の方々には大変申し訳ないが、石垣の崩壊はその石垣の内部を見る数少ないチャンスであり、さらにその修復現場を見ると石垣の積み方の勉強になる。あまり人にはいえないけれど、出かけた城に石垣の崩壊箇所があると「やった、ラッキ」と思ってしまうのである。

s駿府城_倒壊02
 これは2009年の静岡沖地震で崩れた駿府城(静岡市)の石垣。あまりに大きく破壊されると、さすがに喜んではいられないが、崩壊箇所から石垣の仕組みが分かる。石垣はサイコロのような石のブロックを積み重ねるのではなく、奥行きが長く、先が細くなった石を使う。だから簡単には崩れない。
 そして石の後には、水はけをよくするために裏込石と呼ばれる小さな石が大量につめこまれている。これがないと雨で地盤が緩み石垣が崩壊する。建物が無くなり石垣だけとなった城では、石垣への雨水の流入量が多く、裏込石が目詰まりを起こして崩れやすくなることが知られている。

 新聞によると、駿府城の補修費用は7億数千万円が見込まれ、国や市が費用を分担して2010年から工事が始まっている。市と市民にとっては大きな財政負担だが、いち早く調査を終え修理を開始したことに拍手を贈りたい。えらいぞ静岡。
 駿府城は立地上、大きな地震を何度か経験しており、最近の大きな被害は安政の東海大地震(1854年)で、その時に崩れた箇所が、今回の地震でも崩れたという。過去の補修の雑さが今回の大規模な崩壊につながったとする報告書もあった。

s臼杵城天守台発掘調査01
 これは大分県臼杵市教育委員会による臼杵城の天守台付近の発掘調査(2008年6月の状況)。
 城の見学に出かけて、こんな現場に出くわしたら、もうウハウハものである。石に泥が付着し茶色く見えるのは、その部分が埋まっていたからだ。
 天守台付近の建物は乱暴に破壊され埋められたらしく、大量の瓦礫が石垣の周囲から発掘されている。破壊が行われたのが、明治政府の通達による臼杵城廃城のときか、その後の西南戦争のときか、それら以外のときかはよく分からなかった。いずれにしても、この慌ただしい破却は臼杵城の非常事態を想像させる。
 明治の廃城令は城を軍事要塞として使うなということで、急いで破壊しろという命令ではない。それに明治初頭は今のような大量消費時代ではないから、建物は材料を再利用できるよう解体するのが普通だ。単に知らないだけなのだが筆者にとっては大きな謎である。

 この臼杵城天守台石垣は、自然石や加工度の低い割石を積んだ近世初頭の「野面積み」で傾斜が緩い(最初の駿府城の石垣は面を成形した石を隙間無く積み上げる「切り込み接ぎ」という積み方。どちらが丈夫ということはなく、全ては石工集団の仕事の良し悪しにかかっている)。
 施工者は豊臣時代末期の臼杵城主太田一吉か、関ヶ原直後に臼杵に転封してきた稲葉貞通と考えられる。
 裏込石が駿府城より大きく、粒だっていることにご注目いただきたい。これは後で説明するが、石垣を積む上で重要なノウハウとなる。

s臼杵城発掘調査02
 上は臼杵城天守台石垣付近に掘られた発掘調査のトレンチ。大量の瓦や漆喰などの壁材が見られる。

s二本松城穴太積展示
 これは二本松城(福島県二本松市)の山頂部にある(二本松城は山頂部と麓部分の二段構えになっている)、織豊時代の野面積石垣の修復展示。なかなか楽しい遺構の公開方法で、石垣の仕組みがよく分かるようになっている。
 後ろの裏込石が大きく、粒が揃って綺麗であることにご注目いただきたい。これが理想的な裏込石で、粒が小さかったり、大きさがまちまちであったりすると、雨の泥で目詰まりして、やがて石垣の崩壊を招く。また裏込石を詰める厚みも重要で、あまり薄いと崩れやすくなる。下に裏に詰める石で水はけが変わることの概念図を書いてみた。左が◯、右が╳ということである。
栗石のサイズと粒と厚み

 下は忠臣蔵で有名な赤穂城(兵庫県赤穂市)で補修中の石垣。場所は芝居の仮名手本忠臣蔵「城明け渡し」の舞台とされる清水門の近く。斜めに削りとられているので、石垣の横断面がよく分かる。裏込石には破砕石が用いられている。
 赤穂城は江戸時代の机上軍学に基づいた、やたら技巧的な築城プランで知られるが、この頃(2007年撮影)、石垣の各所に修復が必要な箇所が見られた。門や櫓の再建、御殿や庭園跡の整備などとともに、昭和30年代から順次修復が続けられているという。
s赤穂城修復

 江戸中~後期や明治の補修には、資金不足もあって雑な仕事が目立つ。財政難に喘ぐ大名には、石垣が崩れても応急処置がやっとであったろう。それに城の修理には全て幕府の許可が必要で、あまり派手にやると軍備増強を図ったとして、とり潰しになる恐れさえあった。
 今の城は大名の私有物ではないので、公共的な文化財の修復作業として、高度な専門知識を持った技術者による、本格的な復元作業が行われることが多い。
 下の写真は萩城(山口県萩市)二ノ丸時打櫓(時報等の太鼓を打つ櫓跡で、建物はなく台だけが残っていた。萩市では時打矢倉と表記)の石垣修復作業風景。
s萩城石垣補修
 2007年10月の集中豪雨で時打櫓の石垣が崩壊し、事前調査を経て翌年から石垣の解体と積み直しが行われた。崩壊を免れた部分の石も取り外し、崩壊前より強度が増すよう隙間に詰める石などを調整しながら、全ての石を元の位置に積み直した。損傷が大きく再利用できない石は新しく補充され、その割合は全体の8%とのこと。元の石は近くにある指月山の花崗岩だが、現在は山全体が国の天然記念物に指定されているので、よく似た秋穂(山口市)の石を使用したという。
 こんな作業を見ると、石垣好きは思わずカッコイイとつぶやいてしまうのである。ちなみにこの作業は2010年12月に完了。総工費は1億3千8百万円とのこと。

 筆者は石垣の素人なので、うまく説明できてない部分もあれば、間違いも多いと思う。石積みについての基本的な資料として「河川の景観形成に資する 石積み構造物の整備に関する資料(国土交通省 河川局 河川環境課)」をあげておく。現代の石積みについての説明が中心だが、図も多く分かり易いと思う。


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Comment

No Title

ますます面白い♪
イギリスの田舎でよくある石垣(こちらは
平べったい石を積んでますよね)も興味深く
みましたが、城の石垣は内側に玉石がはいって
積まれてるんですね。それで先日の墓石利用
のような石垣もくずれないんだ。
表面の石はやっぱり削って平らにするんでしょうね。
内側は土を盛って土手のようになってるん
ですね。
いやぁ、面白かった。

No Title

 地味な話なので読んでいただけるかと心配していましたが、興味をもっていただけて嬉しいです。
 墓石の転用は、奥行きのある安定した石の間に入れて、つっかえ棒のように重量をかけているので、安定してるのでしょうね。
 平べったい石は、平べったくなる方向に割りやすい石が手に入ることがカギなんでしょうが、もし大量に集められたら、扱いやすいから家族で積めそうですよね。
 続いて大阪城の話もアップしました。もしよろしければ、引き続きご覧下さい。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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