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石垣のお楽しみ/鏡石と笑い積み

 石垣が好きだといったら「やっぱり沖縄はいいですね」と答えてくれた人がいた。確かに石垣島はよいところである。でも今回は岩石を積み重ねた石垣の話。

 城は命がけの勝負の場所になったり、城主の権威や力を示すシンボルになったりするので、やたらに縁起をかついだり大袈裟な意匠が凝らされていたりする。
 石垣についていえば、とにかく大きく高く、そして頑丈に積み上げることが重要で、それさえできれば目的のほとんどは達成される。しかし城の石垣には、わざわざ手間をかけて機能とは無関係な「遊び」が施されることもある。その一つが「鏡石」と呼ばれる大きな石だ。

s今治城大手
 上の写真は近年復元された今治城(愛媛県今治市)の鉄御門と石垣。正面に見える大きな石が鏡石である。何のためにこんな事をするかというと、施工主と石工が、目立つ場所に石垣の見せ場を作って自慢するためである。もちろん風水などの占いや呪術的な意味があるとされているが、方位や場所に一定の法則がある訳ではなく、多くが目立つ場所に置かれその数も一定しない。施工者の趣味の要素が大きいといえるだろう。

s熊本城不開門虎口
 上は熊本城の不開門の横にある鏡石。写真の右下にある大きな石がそれ。鏡石は自慢するために置くと書いたが、これは呪術的な意図を強く感じる例。
 この門は鬼門とされる北東にある。鬼門は完全に閉じると厄があり、また開いておくのもよくないということで、このような戸を閉め切った門を設置したらしい(現在は常時開いていて見学者の通路の一つになっている)。
 この門が開くのは場内から死体や罪人などを運び出すときに限られ、人通りの少ない目立たない場所にある。そこにわざわざ鏡石を据えたのはやはり魔除け的な意味であろう。

s上田城真田石
 これは上田城(長野県上田市)の真田石。本丸東の櫓門の脇にある。真田昌幸が城の北にある太郎山から運んできたという言い伝えがあり、さらにその息子信之が松代に転封となった際、これを運び出そうとしたが動かなかったという伝説もある。しかし、昌幸時代の上田城にこの石垣があったかどうかは不明で、関ヶ原の西軍敗戦(昌幸は西軍に加担した)で廃城となり破壊された上田城を、三代かけて再建した仙石氏が置いた可能性も高い。

s小諸城三の門
 これは小諸城(長野県小諸市)の三の門。上田城と同じパターンで城門の脇にある。三の門は鬼門ではなく、城の正門である。石垣の中ではなく石碑のような形で地面から立っている。

s会津城02
 加工度の高い切り石を組んだ技巧的な鏡石。大きな石の回りに小さい石を並べるのを「笑い積み」というそうだが、開いた口の回りに歯が並んでるように見えるからかどうかは分からない。回りを囲む石の数を奇数にするのがセオリーだという。
 場所は福島県会津若松市にある会津城(鶴ヶ城)。本丸太鼓門の石垣だが、門の内側にあるし面が揃った石を隙間なく積んであるので目立たない。石工が技巧を見せたかっただけのような気もする。

s三重鈴鹿市神戸城
 これは神戸城(三重県鈴鹿市)。鏡石は門周辺の石垣に置かれるのが普通だが、これはなんと本丸の天守台である。鏡石というより、たまたま大きい石があったので使っただけなのかも知れない。

s岡城三丸枡形
 唱歌「荒城の月」の城として知られる岡城(大分県竹田市)三の丸枡形。このように複数の鏡石を並べる例も多い。

s名護屋城三丸櫓台
 これは豊臣秀吉が朝鮮出兵に備え、後方支援基地として九州に築いた名護屋城(佐賀県唐津市)の三の丸櫓台。豪華にデカい石を並べてある。見る物を威圧するために目立つ場所に大きな石を配置したのであろう。人のいない写真よりこんな記念写真的なカットの方が石の大きさが分かってよいな。
 名護屋城は大陸侵攻用の仮設基地のように思われているが、天守や多数の櫓のほか、御殿や参加大名の屋敷も建ち並ぶ恒久的な巨城で、文禄・慶長の役の期間中はこの城を中心に軍事都市が形成されていた。

s名古屋城清正石人入り
 これは名古屋城(愛知県名古屋市)にある有名な清正石。加藤清正が運んだ巨石といわれているが、清正の豪快なイメージから生まれた伝説。面白い事に加藤清正が建設した熊本城の石垣は、小さな割石ばかりで大きな石はほとんど使われていない。
 名古屋城は幕府が諸大名に命じて建てた天下普請で、清正石のある区域は筑前の黒田長政が担当した。巨石といえば何と言っても大阪城だが、それは別に紹介したい。

s徳島城城山本丸鏡石
 徳島城(徳島県徳島市)本丸の石垣。割るための穴をあけた石を使っている。これでは鏡石として体裁が悪いので、ただの石材として扱われたのかもしれない。

s苗木城鏡石02
 苗木城(岐阜県中津川市)の本丸に見られる飛び出す鏡石。苗木城の天守部分の石垣は、高森山山頂に露出した岩盤と融合するように積まれており、確認できなかったが、この石は岩盤の一部かもしれない。

s竹田城南門鏡石
 先日紹介した天空の城、竹田城(兵庫県朝来市)にも鏡石がある。南二の丸の南西向き突出部の石垣である。最後の城主で竹田城の整備に務めた赤松広秀は、北東(鬼門 ? )にあった大手門を裏口にして、南側が城の正面となるよう改修を行っていた。この石垣はその頃に積まれたものと思われる。

s岡城大手門
 これは竹田城と同じように、城の正門脇に置かれた例。先に紹介した二個置かれた鏡石の例と同じ岡城(大分県竹田市)の大手門石垣。城の南に位置し、西方向に開口している。石垣の中央に置かれ、城に入ろうとする者と正面から向き合っているので、施工者の鏡石に込めた思いを強く感じることができる。

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Comment

No Title

この記事とても興味深く楽しく読ませて
いただきました。
お城も石垣も本物を見たことが殆どなく知識も
皆無でしたが、鏡石、そして笑い積み(思わず
囲ってある石の数、数えました)を知ることが
できて嬉しいです。

No Title

ありがとうございます。興味を持っていただけて嬉しいです。
もしどこかでお城の石垣を見る機会があれば、大きな石を探してみて下さい。
またこんなネタも書いてみますね。

面白く読ませていただきました

家康江戸を建てる、第4話の”石垣を積む”を読み、鏡石で検索してブログを拝読致しました。おかげさまで、城の石積みにとても興味が湧きました。これからお城を見る機会がありましたら、参考にさせていただきます。

ありがとうございます。

石垣は面白いですね。私などまだまだですが、好きになると石積みを見たらつい足をとめるようになります(笑)。これからもいろんな石垣を見てまわってください。
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プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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