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文化財

洞窟の聖堂

 ヨーロッパには洞窟を利用した修道院や聖堂が多くあり、教会建築の一カテゴリーとなっているが、日本にも一つだけ洞窟礼拝堂が残っている。それは禁教時代に作られた秘密の隠れ家であった。少し前のことではあるが見学したので、日本の教会建築見学シリーズ ? の一つとして付け加えたい。

岩窟礼拝堂B

 上が日本の洞窟礼拝堂の全景。そこは岡藩の武家屋敷街に近く、江戸時代は岡藩四家老の一人であった古田氏(古田織部の子孫)の領地であったという(大分県竹田市大字竹田)。左の格子がはまった入口が礼拝堂で、右の洞窟は司祭らの居住区跡とされる。
 岡藩の初代藩主中川英成の父中川清秀は、キリシタン大名の高山右近の従兄弟である。岡藩はキリシタンの取締りも行ったが、信徒に寛大な側面もあったとされる。また中川家の家紋は中川クルスと呼ばれる独特なもので、このことから中川氏が密かにキリスト教を信仰していたと考える人もある。
 また中川クルスはイエズス会の紋章とにているという人がいるが、そりゃ違うだろ(笑)と思う。

中川クルス 中川クルス
イエズス会紋章 イエズス会紋章

 作られた時期ははっきりしないが、宣教師の追放後も日本に留まったナバロ神父やブルドリノ神父が潜伏していたとされることから、17世紀の初頭、徳川氏による弾圧が強まった頃に作られ、以後密かに使われてきたと思われる。ナバロ神父は後に他の領内で逮捕され殉教した。
 礼拝堂は幅、高さ、奥行きがそれぞれ3メートル程度で、正面奥に祭壇らしきくぼみがあり(下の写真)、ささやかな十字架が置かれていた。

岩窟礼拝堂祭壇B

 その横には宣教師達が隠れたとされる洞窟がある。いわば洞窟司祭館であるが、開口部が大きく雨風が吹き込みそうなので、使用されていたときは板などで塞がれていたのだろう(下の写真)。

岩窟礼拝堂司祭館

 日本の洞窟教会は身を隠すためのもので、質素でなるべく目立たないように作られているが、ヨーロッパには一つの山が穴だらけにされて宗教都市を形成しているような場所もある。

Chiesa_di_Santa_Maria_di_Idris.jpg
INMAGINE The world's stock photo library 提供

 上は世界遺産に登録されているイタリアのマテーラの洞窟遺構群の一つ、サンタマリア・デ・イドリス教会の礼拝堂。最盛期には付近に100を超える洞窟聖堂があったという。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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