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天の后(あめのきさき)コレクション-その1

 教会建築の紹介はまだまだ続けるけれど、今回は教会つながりで別のネタを。題して「天の后コレクション」。

 「天の后(あめのきさき)」とは聖母マリアに対する日本語の尊号の一つである。
 東アジアでは「天后」という言葉が古くから使われており、それは「媽祖(まそ)」という航海の安全を司る女神を指すことが多い。中国の海に面した町には天后(媽祖)を祀る天后廟が数多く見られる。
 下の写真は媽祖信仰が盛んという福建省湄洲島(梅州島)にある巨大な媽祖像で高さは14m以上ある。日本向けの観光案内には「海上平和女神」と説明されていた。
 皇后の冠をつけ、手には如意を持ち、強大な力で海事を支配する女帝の貫禄がある。見た目では聖母マリアより強そうだが、両者に共通性を全く感じないわけでもない。
 ただこの記事は天の后信仰と天后信仰を比較するのが目的ではないので、天后の話はこれで終わり。
梅州島Mazu
from Wikimedia Commons ⒸLuHungnguong

 カトリック教会にマリア像はつきものだが、教会の庭に手の込んだ「ルルドの洞窟」を造るなど、屋外で拝むマリア像に力を入れている教会は多い。また、これまでに見学した教会にも立派な屋外マリア像があった。というわけで、以下にそのをいくつか紹介したい。
 不謹慎なことではあるが、どのマリア様が理想の女性に近いか、なんてことを考えながら、気楽に眺めていただけたらと思う。なお今回掲載した写真のうち、外国の写真は他所からお借りしたものである。

神ノ島教会大マリア像
 まずは日本一大きな長崎県神ノ島教会のマリア像から。
 この像は長崎湾の湾口部にある大きな岩の上に立ち、長崎港や付近の漁港に出入りする船の安全を祈っている。像を建立した目的は媽祖像と同じといえよう。
 上の写真の左に見える山の中腹に神ノ島教会の白い聖堂が見える。
神ノ島教会マリア像遠景
 像の高さは4m60cmもあり、岩の高さを足すと15mを超えるので、長崎湾を航行する船からもよく見える。
 ここに初めてマリア像が建てられたのは、昭和24年(1949年)、ザビエル渡来400周年の年であった。その後厳しい海岸の風雨に曝され、初代の像は劣化が進んだため、昭和59年(1984年)、地元の水産会社などの寄付で二代目となるこの像が建てられた。デザインは彫刻家であり神父でもあるパウロ・ファローニ師。お顔は現代的な印象を受ける。
神ノ島教会マリア像顔

神ノ島恵比寿祠
 このマリア像の立っている岩の上には、古い石の祠と近年建てられた鳥居があって、祠の中と前には漁業の神である恵比寿像が計4体も置かれていた。それぞれ時代も作風も違う彫刻だが皆大笑いされている。マリア様とエベッさんが夜な夜なお話しているのではないかと思うと楽しい。日本ならではの風景だ。
神ノ島教会島恵比寿

 あと、神ノ島の巨大なマリア像の献花台には聖歌「あめのきさき(聖母マリアの賛歌として世界で広く親しまれている曲)」の歌詞が刻まれていた。行事のときには海上の安全を祈ってこの定番曲が歌われるのだろうか。一番の歌詞に「海の星と輝きます」という詞があるが、それを歌うのに最も相応しい場所だと思った。メロディーはこちら(サルフォード大聖堂のオルガン奏者アンソニー・ハントがお仕事中)。
あめのきさき歌詞

 神ノ島教会の岩の上に立つマリア像は両手をを広げ、人々に救済の手を差しのべるところをイメージしたとされる、いわゆる「慈しみのマリア」の姿である。もう2つほど同じ形の像を挙げたい。
大野教会マリア像
 上は先日紹介した「日本の美しい教会建築-5/外海(長崎市)-大野教会堂」の傍らに立つマリア像で、大野教会100周年(1993年)を記念して信徒の皆さんが建立したもの。
黒崎教会マリア像s
 こちらは長崎県の黒崎教会のマリア像。布の表現が立体的で軟らかく、誤解を恐れずに言えば、色と相まって最近のアニメ美少女フィギアのセンスを感じさせる。
 像の台は、100年以上(禁教時代を入れると400年以上)におよぶ黒崎教会の歴史が書き込まれた碑となっている。2000年竣工。
大野黒崎お顔
 2つの像は製作時期が比較的近いにもかかわらず、それぞれ別の個性を発揮していて興味深い。

 マリア像のポーズで、もう一つの定番がルルドのマリア像に代表される合掌タイプ。
ルルドの洞窟 ⒸMIXA
 上の写真がその本家というか元祖というか、フランスはオート・ピレネー県にある本物の「ルルドの洞窟」に置かれたマリア像である。
 ルルドの聖母マリア出現譚や泉の奇跡などについては、教会の公式見解から体験談、旅行案内、オカルト話の類まで、ネット上にも無数の資料があるのでご覧頂きたい。
ベルナデッタ
Wikimedia Commons ⒸPjahr
 人々の好奇心を書き立てるルルドのアイテムの一つに、聖母マリアと出会った少女ベルナデッタ(修道女となり看護と介護に尽力。35歳の若さで亡くなった後、聖人に列せられる)の腐敗しない遺体がある(写真上)。調査した医師によれば蝋でコーティングされたミイラということだが、ついさっき眠りについたような姿に神や奇跡の存在を感じる人も多いだろう。

 各地の教会にあるルルドの多くは、下の写真のようなミニチュア(福岡県今村教会)か象徴的なオブジェ(青森県弘前教会)であるが、原寸大の立派なルルドを再現しようとする教会もある。
福岡今村教会ルルド
弘前教会ルルド

 下は長崎県の神ノ島教会にあるほぼ原寸大のルルド。神ノ島教会は冒頭の巨大なマリア像と同じ教会である。
神ノ島教会ルルド01
 美しく彩色された大きなマリア像で、お顔を僅かに下に向け、教会の前に立った人々に優しく視線を合わせて下さるという寸法だ。
神ノ島ルルドアップ

 次は長崎県の出津教会の塔の先端に立つマリア像。ルルドの洞窟にあるオリジナルに似ているが、高さは目測で人間の3分の1ほどと思われ、よく見ると十字架の位置など細部が異なっている。10頭身のスラリとしたシルエットだが、目が大きいやや少女的なお顔立ちで、視線は遥かヨーロッパを望む、という訳ではないだろうが、北西の空に向けられている。見学に行かれるなら、双眼鏡や望遠レンズは必携。
出津教会マリア像m
 出津教会は有名なド・ロ神父が明治15年(1882年)に建てた教会で、マリア像の立つ塔は明治42年(1909年)に新築されたもの。像はフランス製でド・ロ神父が輸入したものとされるが、教会に明治42年以前からあったものか、塔の新築に合わせて新たに入手したものかは分からなかった。
出津教会塔上のマリア像

 次は珍しいマリア像で、明治の初頭、中国地方の山中に現れたマリア様の姿を写した、日本版のルルドやファティマというような像である。
 場所は鳥取県津和野市の裏山的な位置にある乙女峠。マリア像としては比較的少ない(仏像ではごく普通の)左右の腕の角度を変えたポーズとなっている。
乙女峠のマリア
 この像が表現しているのは、明治政府が欧米から批難されることになった宗教弾圧事件「浦上四番崩れ」の際に起きたエピソードである。
 浦上で摘発され、日本各地へ流罪(実質は禁固と拷問)となった3千人を超えるキリシタンのうち、津和野に送られたグループに安太郎という若者がいた(写真の檻に入れられた人物)。彼は送られた先の津和野で何日にも渡る激しい拷問を受けたが改宗しなかったので、体が伸ばせない3尺立法の檻(ほとんどただの木箱)に裸で押し込まれ、雪の屋外に放置された。
 夜、仲間の一人が檻に忍び寄り(彼らは牢の床を穿ち、囲いの内側ではあったが部屋の外に出て仲間と連絡をとる事に成功していた)安太郎を励まそうと声をかけると「毎夜青い着物を着た婦人が現れてお話をして下さるので寂しはくない」と答えたという。この婦人こそ聖母マリアというわけだ。この安太郎と話した仲間が「浦上四番崩れ」の詳細な記録を残した守山甚三郎である。
 安太郎もルルドやファティマの聖母マリア出現譚のように、何か予言めいた話を聞いたかもしれないが、婦人と会ったことは自分が死ぬまで人に話すなと遺言し、それから間もなく檻の中で息絶えた。
乙女峠殉教者碑2
 上は乙女峠で殉教した36人を描いたレリーフ。矢印が安太郎。子供が描かれているのは、何人もの子供が拷問され牢内で亡くなったからで、通常の拷問では簡単に改宗しないことを知った役人は、後から捉えたキリシタンの子供を拷問し、その悲鳴を大人達に聞かせるようになった。
 明治政府は欧米各国からの激しい抗議によって、外交に支障をきたすようになり(当時欧米に派遣していた岩倉使節団が、欧米の国家元首から直接批難されるような事態に陥り、外交交渉どころではなくなっていた)、明治6年に禁教を解くが、浦上四番崩れで流罪となったキリシタンのうち、すでに600人近くが拷問や病気で亡くなっていた。また、苛酷な拷問で転んだ人が1,200人ほどあり、それはそれで長く良心の呵責に苦しむことになった。

*追記 明治政府のキリスト弾圧に関する岩倉使節団と欧米各国とのやりとりは、こちらの記事「安倍総理の靖国参拝で思い出した明治初頭の宗教外交史」に少し詳しく書いた。
 
 かなり長くなったが最後に「日本の聖母」という称号を持つ大浦天主堂のマリア像を紹介したい。大浦天主堂マリア像
 この像は苛酷な弾圧を耐えた日本のキリシタンと、ヨーロッパの神父との感動の再開を記念して、フランスの教会から贈られたもの。明治12年(1879年)の聖堂建替え時からずっと正面入口に置かれているという。これが日本の屋外マリア像の第1号ではないだろうか。高さは1m40cm。頭に頂く冠と足下の三日月が金色で、品の良い豪華さがある。
 信徒再発見の当事者プチジャン神父はパリ外国宣教会に所属していたので、そこからの贈り物と思われるが、明治期に輸入されたマリア像の中でも、これは特に優れた作品といえ、特別に選んで贈られたことが伺える。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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