備忘録/自然・文化・社会とニュース

文化財

日本の美しい教会建築-2/平戸-カトリック田平教会

 前回に引き続き長崎県の教会建築のお話。場所も前回の宝亀教会と同じ平戸市である。物件は国の重要文化財に指定された有名建築の田平教会聖堂。立地に因む瀬戸山天主堂という別名もある。
 写真を整理したとき、寸法を間違え若干小さくなってしまった。どうかお許しを。

田平教会01

 堂々とした煉瓦作りで、写真を見てヨーロッパの教会といわれれば納得してしまうような建物である。竣工は大正7年(1918年)。設計施工は当時の長崎県で教会建築の第一人者となっていた鉄川与助棟梁である。
 鉄川棟梁は生涯に36の(数え間違いがあるかもしれないのでどうかご確認を)教会を建てている。田平教会は13番目に竣工させた建物で、煉瓦建築では最後の建物となった。
 前回紹介した柄本庄一棟梁のように、手探りで木造洋風建築に取り組んだ世代よりは40歳近く若く、日本人棟梁の教会設計もかなり本格的になってきた時代の作品である。

 鉄川与助棟梁はエジソンが電球を発明した1879年に長崎県の南松浦郡で生まれ、明治、大正、昭和の3つの時代を股にかけて活躍。キャンディーズの「春一番」がヒットしていた1976年、97歳で亡くなっている。
 鉄川棟梁の人となりについては、鉄川工務店三代目社長、鉄川進さんのサイト「おじいちゃんが建てた教会」に詳しい。

田平屋根1

 建物に近づいて細部を見ると、デザイン上の苦労の跡というか、煉瓦の洋風建築に和風の瓦屋根を載せてつじつまを合わせた、独特の意匠が目に飛び込んでくる。結果として重厚な煉瓦積みに負けない、堂々とした屋根となったと思う。ヨーロッパの教会のスレート屋根より変化があって、筆者は大好きである。

田平側面

 田平教会にも前回の宝亀教会と同じように木造部分がある。側面から見て白く見える部分がそうだ。
 これは上層部分の軽量化が目的の第一と思われるが、同時に限られた資金の範囲で、最大の容量を持つ聖堂を建てる方策でもあったはずだ。

田平接続部

 これは、煉瓦積みと板壁の接合部分。窓を共通にすることで一定の統一感が生まれる。

田平後面

 こちらは祭壇の背後に当たる部分。建設中にこの付近で壁の崩落事故が起き、2名が犠牲になったという。

 田平御堂内

 内部はごらんの通り。教会にはリブ・ヴォールトの曲線美がよく似合う。中央廊の幅は6m以上あり、それに対応する天井の高さを十分に確保している。外観の重厚な雰囲気が、中に入ると一瞬にして開放的な気分に変わるのは、この天井の高さと白い内装色のためである。

 1990年代までは写真にあるような椅子がなく、床に敷いた畳の上に座る方式であったというから、今よりもっと広々していただろう。日本人向けの教会は、割と最近まで畳に座る方式が多かった。

 最後に、建設に至る経緯や資金調達、住民の苦労などについて触れておこうとおもったが、長くなりそうなのでまたページを改めることにしたい。すみませぬ。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
小さな写真はそれをクリックすると大画像が開きます。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ