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文化財

日本の美しい教会建築-1/平戸-宝亀教会天主堂

宝亀教会01

 前回に引き続き教会建築のお話。教会の擬洋風建築の写真も貯まってきたので少しずつアップできればと思う。ご覧いただけるとうれしい。

 これは長崎県平戸市宝亀町にあるカトリック宝亀教会天主堂。九十九島を臨む丘の上に建っていて、晴れた日に教会から海を眺めるとその美しさに思わず息を呑む。神に祈る場としてはこの上なき立地だ。ここに教会を建てようと考えた人々の心が伝わってくる。

宝亀教会06

 明治31年(1898年)竣工。建築を指揮したのは当時平戸・黒島教区の主任宣教師であったジャン・フランソワ・マタラ神父。その名から分かる通り彼はフランス人で、明治14年(1881年)に来日。大正10年(1921年)平戸の紐差教会で亡くなるまでの40年間、献身的に布教活動を行った。当時流行した赤痢とも闘い、自身も感染しながら地域の人々のために礼拝を続けたという。細菌学者の志賀潔が世界に先駆けて赤痢菌を発見したのは、宝亀教会が建つ前年、明治30年のことであった。
 マタラ神父の略歴(パリ外国宣教会)

 施工は五島出身の宮大工、柄本庄一棟梁と伝えられている。彼は幕末の弘化4年(1847年)生まれで、隠れキリシタンの家であったかどうかは不明だが、維新後まもなく正式に洗礼を受けたという。柄本棟梁の仕事について、あまり細かい記録は残っていないが、宝亀教会のほか、井持浦教会 鯛ノ浦教会 紐差教会など、長崎県の多くの教会建築に腕をふるったとされる。

宝亀教会02

 正面から見るとロマネスク風の堂々とした煉瓦建築に見えるが、本体はコロニアル風のテラスがある木造平屋の可愛い建物である。

宝亀教会03

 壁は板張りで屋根は和風の桟瓦葺き。裏側から見ると日本の大工さんが建てたことがよく分かる。
 老朽化とシロアリの被害によって傷みが進行していたので、2004年から修復工事が進められ、2007年に現在見られるような美しい姿を取り戻した。

宝亀教会04

 窓には竣工当初からのステンドグラスが残っており、天井を構成するリブ・ヴォールトの曲線や木彫の装飾と相まって、小規模ながら非常に美しい祈りの空間が形成されている。

宝亀教会05

 平戸市の岩田拓靖さんによると、パリ外国宣教会にあるマタラ神父の死亡記録には、生前彼が好んだ祈りの言葉として、新約聖書の一節がラテン語で記されているという。《 Domine, mitte operarios in Messem tuam, Messis quidem multa operarii autem pauci. = 収穫は多けれど働く者少なし、主よ、あなたの収穫に働く者を送りたまえ(ルカによる福音書10章2節 ? )》。布教環境の充実と後進の育成に務めたマタラ神父らしい祈りといえよう。


プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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