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水産と自然

和井内貞行がヒメマスの卵を入手した支笏湖

支笏湖01
支笏湖

 和井内貞行は、明治17年(1884年)から「魚のいない十和田湖」で養魚事業に取り組み、15年以上にわたる苦心の末、一定の漁獲が得られるようになっていた。しかし、貞行の思い描く成功は、漁業と観光で十和田湖周辺を発展させることであったから、魚が多少獲れるようになったぐらいで満足することはなかった。そのため常に過剰投資となり、父親の資産を1万円以上も食いつぶしていた(当時の1万円を物価で換算すると現在の数千万円。賃金で換算すると1億円以上の額になる)。その頃に出会ったのが新しい魚種のヒメマスである。

 明治35年(1901年)、十和田湖観光を宣伝するため各地を回っていた貞行は、青森市を訪れた際、阿寒湖から支笏湖に移植されたカバチェッポという魚が、十和田湖にも向いているのではないかという話を聞いた。カバチェッポとはアイヌ語でヒメマスのことを指す(アイヌ語の辞典を見ると、Kapa+cep=カパチェップ=平にした魚、となっているが、和井内貞行に関する古い資料にはカバチェッポと書かれたものが多い。おそらく最初にヒメマスに注目した北海道の水産技師がこう呼んでいたのだろう)。

ベニザケ若魚01
ヒメマスと同形のベニザケ若魚 手前の黄色いのはアルビノ。
(水産総合技術センター千歳事業所=旧千歳中央孵化場にて)
ヒメマスはベニザケの陸封型で、両者に外観上の差はない。


 伝記によると、貞行にカバチェッポのことを教えたのは長野県の寒天商人、中島庸三ということになっている。どんな人物なのか詳しいことは分からなかったが、貞行の伝記映画「われ幻の魚を見たり」では、中島庸三に該当する人物を、後に名悪役として名をはせた上田吉二郎が好演していた(映画のシチュエーションは史実とはかなり違うが)。

 当時の青森県水産試験場は、北海道におけるヒメマス移植事業の成功(明治27〜29年、阿寒湖から支笏湖へ移植)を受け、県内の水産事業者にヒメマスの放流を奨励していた。中島庸三はおそらく、何にでも興味を持つ営業向きの好人物で、どこかで聞いた青森水試の話を貞行に伝えたのであろう。貞行は早速青森水試に確認をとり、手始めにヒメマスの発眼卵3万粒を発注した(発眼卵/受精して眼が形成された段階の卵。これぐらい育った卵が丈夫とされる)。青森水試は支笏湖に近い千歳中央孵化場に技官を派遣し、貞行の希望に応えることになった。

千歳中央孵化場の人々2
明治20年代の千歳中央孵化場のスタッフ。
北海道のサケマス孵化放流事業はこの人たちによって始められた。
前列左が阿寒湖→支笏湖のヒメマス移植に成功した藤村信吉。


 低温期の輸送(産卵期は秋)とはいえ、輸送器具と交通網が不十分だった明治35年に、生きた魚の卵を運ぶのは苦労の多い仕事であったろう。幸い千歳中央孵化場の藤村信吉らの努力によって、ある程度の運搬ノウハウは蓄積されていたが、本州の湖まで運ぶのは初めてのことであった。千歳中央孵化場から青森市までは青森水試の技官が、青森市から十和田湖畔までは貞行が、それぞれ鉄道、馬ぞり、徒歩で運ぶという、生きた魚卵のリレーが行われた。

 当時事業資金が逼迫していた貞行は、卵の代金と運搬費用を、懐中時計や妻の着物、アクセサリーなどを質入れして準備したという。

貞行時計貞一郎蔵
和井内貞行が質草にしたとされる懐中時計。
後に和井内家に戻り子息が相続。現存している。


 到着したヒメマスの卵は十和田畔の孵化水槽に移され無事に孵化。明治36年春、泳ぎ始めた稚魚が十和田湖に放された。これが現在まで続く「十和田湖のヒメマス」の始まりである。

 稚魚放流から3年目、明治38年の秋に、大きく育ったヒメマスが孵化場の前の湖畔に集まってきた。教科書にも掲載された和井内貞行伝のクライマックスシーンである。ただし、貧困のどん底にあった和井内夫妻が、爪に火をともすような暮らしを続けながら、ヒメマスの回帰をひたすら待ち続けたと考えるのは間違いである。

 和井内貞行は十和田湖でヒメマスが育つのをボ〜ッと待っていたわけではない。まだ売り上げのないうちからヒメマスの拡大再生産に備えて孵化場建設に着手。最初のヒメマスが回帰する明治38年の秋までに完成させている(おそらく試験操業を繰り返しながら、ヒメマスの生育状況をモニターしていたのであろう)。しかも、この年には新しい魚種としてサケの稚魚5万尾を放流し、また飼料生物として淡水エビの放流実験も行っている。

 和井内貞行の放流記録にある「鮭」は、当時の孵化放流事業の状況からしてシロザケと思われるが、当時も今も湖で生まれ育った天然のシロザケというものは存在しない。つまり海から遡上してきたシロザケから得られた稚魚を湖に放流したわけだ。これはベンチャービジネスというより水産増殖学の実験みたいな話である。淡水エビの放流も同じ。こうした事業に挑戦し続けた貞行は、「苦労の人」というよりやはり「面白い人」なのである。

シロザケ2009秋
海で育ち北日本の川に遡上するシロザケ。陸封型は知られていない。新潟県三面川。
ベニザケ千歳養殖2012
名前が示す婚姻色が現れたベニザケ。日本の川には遡上しないが、北海道の阿寒湖とチミケップ湖にのみ陸封型が見られる。かつて秋田県の田沢湖にもいたが、戦時中に田沢湖の魚が全滅するのを承知で行われた河川改修(強酸性の温泉水を湖に引き込んだ)によって絶滅した。水産総合技術センター千歳事業所の飼育個体。

 現在、ヒメマスが地域の名物となっているのは、十和田湖と支笏湖の周辺で、日光の中禅寺湖も2011年まではそうであったが、前の記事で書いたように、東電の原発事故による放射性物質汚染で湖産のヒメマスは食べられなくなってしまった。
 北海道ではヒメマスをチップ(アイヌ語のcepの和人訛)と呼び、支笏湖畔の食堂では、焼き物のほか、刺身、揚げ物、和え物、寿司など、様々なチップ料理を食べることができる。

支笏湖ヒメマス塩焼き
支笏湖産ヒメマスの塩焼き

ヒメマス刺身
支笏湖産ヒメマスの刺身

プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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