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水産と自然

十和田湖のヒメマスが不漁続きの理由

日光のヒメマス

 上の写真は原発事故後の現在、日光中禅寺湖畔で供されている養殖ヒメマスの塩焼きである。産地はよく分からなかったが、前に掲載した十和田湖のヒメマスとはかなり異なるプロボーションである。
 本州では十和田湖と並ぶヒメマスの産地であった中禅寺湖は、原発事故で放射能汚染に曝され、ヒメマスの体には150ベクレル/キロ以上の放射性物質が蓄積されてしまった。当然食べることはできず、県によって中禅寺湖の魚の持ち出し禁止措置がとられている。
 核物質というものの性質上、汚染は長期化すると思われるが、これは中禅寺湖で和井内貞行以前から続けられた淡水魚の増養殖事業への努力を、一瞬にして台無しにした出来事であった。だからこの塩焼きの姿は悲しみに満ちている。

 今回の話と日光のことは無関係。先日中禅寺湖に行ったので参考までに。放射能の話を期待された方には申し訳ない。今回の話は前回の記事でいった通り十和田湖のヒメマスの不漁について。

 十和田湖のヒメマスは1980年代の前半まで豊漁で、食用だけでなく釣りの対象としても人気が高く、地域経済に貢献してきた。しかしその後、ワカサギが多く獲れるようになると、漁獲が大幅に減り、生産が不安定となっている。

 ヒメマスはワカサギより大きく、ワカサギを補食することもあるので意外に感じられるかも知れないが、生態系は複雑で、強い者が弱い者を駆逐するとは限らない。
 1999年以降に発表されたいくつかの研究報告によると、ヒメマスの若魚とワカサギの間で食べ物の奪い合いが起き、ワカサギがヒメマスを圧迫しているようである。
 つまり、大形で強い動物でも、その成長過程には必ず小さくて弱い時期があり、哺乳類や鳥類のように親が子を保護することがなければ、他の生き物の圧迫を受けるということだ。特に湖のように狭くて孤立した空間では、その影響が劇的に現れることがある。

 十和田湖に住むケンミジンコ(動物性プランクトン)のいくつかの種が豊富に見られた年は、ヒメマスの漁獲量が多い。つまり、それらのケンミジンコ類はヒメマスの若魚の主要な食べ物というわけである。一方、ワカサギの胃の内容物を調べると、同様なケンミジンコが多く見られた。これらのことから、両者がシビアなライバル関係にあることが分かる。

 ワカサギが十和田湖で初めて記録されたのは1982年。和井内貞行が孵化放流に成功してから80年も後のことである。その後ワカサギが急激に増え、1984年に網を入れると4トンもの水揚げがあり、その後も大量に獲れ続け、1991年には150トン近く獲れたという。これは、外来生物が一時的に増える様子と似ており、その後は大漁でも数十トンぐらいを推移している。

 この流れを見ると、1982年の少し前にワカサギが放流され、その後一気に増えたように見える。しかし、ワカサギの放流記録は戦前からあり、その結果は失敗と評価された。つまり、ワカサギを放してもたいして増えず、ヒメマスを圧迫するようなことにはならなかったのである。そのあたりはちょっとした謎だが、水産技官の天野勝三は、2003年の青森県内水面水産試験場事業報告書の中で、1982年の水温低下でヒメマスの稚魚が大打撃を受けたとき、ごくわずか生き残っていた放流ワカサギの子孫が、ライバルの消滅で一気に数を増やし、その後ヒメマスの若魚に対抗できる勢力となったというような仮説を示している。
 
 ブラックバスの放流を正当化する人々の中には、生態系ピラミッドの上位にいるブラックバスが、小魚などの餌料生物を食べ尽くすことはあり得ず、餌料生物が激減すればブラックバスの方が先に絶滅するから大丈夫という人がいる。しかし生物同士の関係はそんなに単純なものではなく、新しく放した生物が在来の生物に与える影響を予測するのがいかに難しいかということを、ヒメマスとワカサギの関係が示している。もちろん、十和田湖のヒメマスとワカサギは、どちらも他所から持ち込んだ生物であるが、琵琶湖など在来種が多い環境に外来種を放した場合、風が吹けば桶屋が儲かる的な、もっとややこしい反応が起きることは容易に想像がつく。

 和井内貞行の時代は生態学的な知見も少なく、めぼしい産業のない地域では殖産興業が国家的な優先課題であったし、河川湖沼も今ほど悲惨な状態にはなっていなかった。しかし河川湖沼をとりまく環境の荒廃が進んだ現在の放流事業は、環境保全とセットで、より科学的に、また慎重に進めることが求められている。


プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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