備忘録/自然・文化・社会とニュース

文化財

誤解を招くかもしれないお城

お詫び//浦安市を木更津市と書き、しばらく直さず放置しておりました。お詫びします。


 千葉県浦安市の埋め立て地にある東京ディズニーランドのシンデレラ城は、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を模したとされるが、いくらよくできていたとしても、昔そこにノイシュヴァンシュタイン城があったと思う人はいない。(別のページで、読者の方からノイシュヴァンシュタイン城に似ているのはアメリカのディズニーランドにある「眠れる森の美女城」の方で、東京ディズニーランドのシンデレラ城は、ユッセ城やフォンテーヌブロー城などフランスの城や宮殿に似ているというご指摘をいただきました)
ノイシュヴァンシュタイン01
ノイシュヴァンシュタイン城 by imagenavi

 熱海城(熱海市)や伏見城(京都市)も、シンデレラ城と同じ架空の城ではあるが、こちらは日本の城を模しているだけに、そこにそんな城が実在したかのような誤解を招く可能性がある。
 熱海城や伏見城の場合は、観光用の架空の城であることが明記されているが、もしそれが自治体が建設したもので、教育委員会によるもっともらしい解説板の一つも立っていたらどうであろう。人々に偏った認識を植え付け、それを拡大、固定化させる可能性が高い。実はそんな城が日本にはたくさんあるのだ。

関宿城模擬天守

 上は割と最近できた模擬城の一つ、千葉県野田市にある関宿城博物館である。
 千葉県立関宿城博物館公式ホームページによると、関宿城の建設を強く望んだのは地元の関宿町で、1980年県に要望を提出、県はそれに応えて1986年建設を決定した。
 その後準備調査期間を経て1993年から着工し、1995年春に竣工。同年秋から博物館の展示室兼展望台として公開されている。

関宿城博物館全体
関宿城博物館全体を見る。土地に余裕がないので天守がなければ都市部のお寺のようにも見える。

 関宿城は熱海城とは違って実在した城で、明治維新の後も建物が残っていたが、明治8年までに全て解体撤去されたという。また川っぷちに建つ城であったため、その後の河川改修によって堀や土塁、建物の基礎といった遺構もその大半が失われたという。
 県教育委員会による遺構確認調査では、今の関宿城博物館の南西に、三層櫓(天守)の石積みらしいものが確認されているが、いずれにしても現在の関宿城博物館は、実在した建物の位置とは無関係に建てられている、というか、位置を関連づけることは不可能である。

 また、建物の詳細についても資料が乏しく、無理に形にしようとすれば架空のシンデレラ城にならざるを得ないのだが、千葉県は古文書(筆者の不勉強で原典未確認)にあるという、寛文11年(1671年)に「(天守は)公儀御願相済富士見御櫓之形ヲ以建直ル」という記述を根拠として、江戸城の富士見櫓のコピーを鉄筋コンクリートで建てることにした。
 ネット上の関宿城の説明にも、関宿城博物館の説明パネル引用と思われるこの一文が多く見られる。出所は当時城主となった幕臣久世家の記録と思われるが、関宿城の展示パネルや売店の紀要をちゃんと見て来なかったのでよく分からない。我ながら間抜けなことである。

 江戸城の富士見櫓は本丸南端の角にあり、城の外側に面する壁と、内側に面する壁のデザインが異なるのだが、千葉県立の関宿城は、郭の中に独立して建つ天守とするため、全方位とも外向きのデザインにしている。
 近世城郭の根本資料のひとつとして知られる正保城絵図では、関宿城の天守は本丸北西角の土塁上にあるし、用地の縦横比や面積もよく分からないので、富士見櫓を模したという一文が事実としても、この時点ですでにデザインに空想が入り込む余地が大きいといえる。

 また発掘調査で確認された石積みは、石の小さい小規模なものであるというから、関宿城天守は土塁を石で補強した腰巻土塁や鉢巻土塁の上に載っていたのではないだろうか。しかし千葉県立関宿城天守台は総石垣となっている(コンクリートの基礎に奥行きのなさそうな石を並べた模造石垣のようであるが)。

江戸城富士見櫓
江戸城富士見櫓の城内側。南西面は宮中側なので普段は撮影できない。

関宿城模型
 上は博物館のエントランスにあった関宿城の模型。館内は撮影禁止であるが、ここはかまわないといっていただいたので撮影した。
 筆者には模型の信憑性を判断できないが、中世の城のような素朴なイメージである。度々洪水に襲われ藩の財政は困窮していたというから、周囲はこのように質素な板塀で囲まれていたのかもしれない。見栄を張って高価で手間のかかる漆喰壁を巡らしたところで、水が来たら終わりであるから、学習能力のある普請奉行なら板塀を採用するはずだ。
 当時城の修理には幕府の許可が必要だったが、なんせ城主が幕府の中枢にいて許可を出す側だったので、度重なる洪水による補修に不都合はなかったと思われる。問題は資金調達だけである。

 関宿城の建物は廃城の際、民間に払い下げられて移築されたものもあり、幸いなことに今も関宿城の御殿や門と伝えられるものが残っている。それぞれ現在の使用者がいるだろうから、急にそれらを取得し移築することは難しいかもしれないが、外観だけでもコピーすれば関宿城の復元建築と呼べるものに近づくだろう。博物館の各建物を設計する際、それらがどの程度生かされたのかはよく分からなかった。

関宿城博物館門
関宿城博物館の城門。城門の上に表札のように家紋がついてるのを始めて見た
関宿城門在逆井城
茨城県の逆井城内に保存されている関宿城の薬医門と伝えられるもの

 千葉県立関宿城博物館の建物について、重箱の隅をつつくようなことを書いたが、城の建設を望んだ関宿の人には、できた城が史実に忠実かどうかなど、どうでもよかったのではないだろうか。とにかく暴れん坊将軍のように分かり易い、時代劇のセットのような城が建てばそれでよかったのだと思う。地元といえども、そこにどんな城があったのかはっきり分かっていたわけではないのだから。

 城を実際に建てることになった千葉県とて同じ。天守の復元自体にさほど大きな意義を感じていたわけではないだろう。
 千葉県議会の議事録によると、1992年の議会で地元の田中由夫議員(当時)が関宿城博物館計画について「関宿のスーパー堤防の上は眺めのよい場所であるから、お城の完成が待ち遠しい」と発言したうえで、どんな内容になるのかを質問している。天守建設に関しては、歴史的建造物の学術的復元事業ではなく、博物館付属の城型展望台という認識であったと思われる。
 これに対し、県教育庁の奥山浩氏は「房総の河川と人々のかかわりを治水や水運の歴史を通して県民にわかりやすく展示すること」と展示内容を説明し、さらに「房総の河川と河川交通と伝統産業の二部門で構成する」と具体的なことを述べている。
 博物館の形について同氏は、天守着工後の議会で「天守閣は三層四階の江戸城富士見やぐら風でございますが、これを再現いたしまして」と説明している。また、史実にはできるだけ忠実に作りたいという抱負も表明していたが、これらの発言から、いずれにしても模擬的な天守にならざるを得ないという認識はあったようだ。

 驚いたことに関宿城の天守は、あの小さな容積にも関わらずエレベーターを設置している。これは全国のコンクリート天守の中でも珍しく、高さが30m以上ある熊本城の大天守でもエレベーターはない。やはりバリアフリー時代の新しい建物らしく障害者に配慮した設計だ。ただし、観光用模擬天守展望台の定番といえる外廻縁高欄(展望バルコニー)は付けなかった。この辺りは、富士見櫓を再現すると表明した千葉県の矜持といえるかもしれない。
関宿城展望室
展望台は窓のみ。ただし窓の大きさは江戸城富士見櫓の2倍ほどある
杵築城高欄
天守展望台の定番外廻縁高欄(大分県杵築城模擬天守)

 旅行者ブログなどを見ると、史実に忠実であるがゆえに江戸城の富士見櫓をコピーし、関宿城には実際にそのような建物があったと思う人も多いことが分かる。しかし、先程も書いたように、詳しいことは何も分かっていないのであって、全方位に窓があって独立した石垣の上に建っていることや、土台が総石垣だというのは、おそらく史実と違っているだろう(今のところそれを確かめる術はないが)。
 もちろんどんなに奇抜な建物を想像しようと自由だし、それは楽しい時間となるのだが、分からないものについては、我々見学者が色んな可能性を考えて楽しめるように、できるだけイメージを固定しないようにしてもらえたらと思う。

 関宿城博物館の模擬天守の脇には江戸城の富士見櫓の写真付きで「関宿城にはこんな天守がありました」というような説明文が掲げられている。一方、兵庫県篠山城の石垣復元箇所には「この隅石垣の復元は、資料、根石が不足なため、正確に積まれていません」というパネルが埋め込まれていた。本物の城ではない博物館の建物と、国の史跡という大きな差がある両者を比較し、その姿勢を云々するのは間違っているのかもしれないが、これらの間には歴史に対するセンスの差のようなものを感じざるを得ない。

関宿城看板
関宿城の天守脇にある説明パネル。後ろの模造石垣はご愛嬌
篠山城石垣プレート
篠山城の石垣で見つけたこれを信じないで下さいパネル

 ここまで長々と書いてしまったが、関宿城天守はかなり良心的な方で、同じ千葉県には千葉城という、もっと大きな誤解をまき散らしている大物があることを思い出した。それについてはまたいずれ。

文化財

城にあった巨大な井戸と隠し井戸

 5日に書いた「食べログ」の口直しというか、新春第2弾は楽しい文化財ネタを(筆者が楽しいということで、お読み頂く方が楽しいかどうかは分からないのだが)。

 年末に書いていた井戸の話の続きである。今回はちょっと変わった井戸らしくない井戸の話。
s松山城二ノ丸大井戸
 上は愛媛県の伊予松山城二の丸にある大井戸である。向こう側に人が写っているので大きさがお分かり頂けると思うが、25mプールぐらいの広さがあり、深さは10mほど。
 人が井戸の中に降りて直接水を汲むシステムだが、かつては井戸の上に大きな建物が建てられており、巨大な地下水槽になっていたという。

 二ノ丸には御殿の建物が立ち並び城主一族の生活の場となっていた。築城したのは戦国末期の武将加藤嘉明で、その後転封で蒲生忠知に替わるが、忠知が早世したため蒲生氏が断絶。その後入った譜代大名の松平氏が明治まで200年以上城主を務めた。

 なんでこんなに巨大な井戸を作ったのかははっきりしないが、御殿の防火用水的な意識もあったのだろう。井戸から各建物の床下に通路が巡らされていたとされるが、そこに水路をつけて水道完備の建物にしようとは思わなかったようだ。

 日本にはかつて2万5千もの城があったとされ、一時的な砦や陣城を除いてはそれぞれに井戸があったはずだが、こんなに巨大な井戸は他にほとんど例がない。松山城以外で大きな井戸といえば、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻める際に建てた石垣山城の井戸曲輪ぐらいだろう。
 石垣山城の井戸曲輪は、井戸の周囲が石垣で囲まれており、松山城ほどは大きくないものの、広い水場が形成されていたと思われる。

s石垣山城井戸曲輪
 上の写真が石垣山城の井戸曲輪の遺構で、井戸を取り囲むように石垣が巡らされている。井戸の中心は画面の右寄りにあり、下の写真はその部分。今も底部に水が湧いている。
s石垣山城水場01

 この城は豊臣秀吉が一晩で建てたという伝説から「一夜城」とも呼ばれるが、実際は3か月ほどかかっている。それでも凄まじい突貫工事であったことには変わりない。小田原城を見下ろす山の上に突然巨大な城が出現したので北条軍は戦意を喪失。戦うことなく小田原城を明け渡してしまった。

 役目を終えた石垣山城は廃城となり、その後長く石垣だけがのこっていたが、1923年の関東大震災でほとんどが倒壊した。幸い井戸曲輪の石垣は原形をとどめている。
 石垣山には笠懸山という本来の名前があるが、山頂に石垣が残っていたので、近隣住民に石垣山と呼ばれるようになったのだろう。石垣を積んだ者が自分で石垣山城などと呼ぶはずはないので、築城当時は別の城名で呼ばれていたと思うが、なんと呼ばれていたかは分からなかった。

 次は群馬県太田市の金山城内にある直径約15mの日ノ池。これは井戸ではなく露天の貯水池であるが、脇に井戸を備えた広い水場となっている。

s金山城日ノ池

 金山城は室町時代後期に岩松家純が建設したとされ、その後家臣の由良成繁が下克上で奪い、さらに由良氏を滅ぼした北条氏のものとなるが、北条氏が滅亡すると廃城となり池や井戸は埋もれてしまう。
 近年(1990年代)金山城の発掘調査が進められ、その成果に基づいて石垣や池が復元された。あまりにも綺麗に作り込んでしまったので、やり過ぎとの批判もあるが、周囲に石を積んだ円形の池であったことは確かなようだ。丸い大きな池を中心に祝祭的な広場が形成されていることから、何か宗教的な意味があったのではないかといわれている。

 次の写真は、謎の多い熊本県人吉城の地下の大井戸である。
s人吉城大井戸遺構
 地中に埋まっていたものを掘り出して修復整備したもので、いうまでもないことだが石段の上の手摺は新たに設置したもの。

 人吉城の発掘調査で地下の大井戸が二つ確認されており、その位置は江戸初期の絵図から、城の西側にあった家老の屋敷の地下と推定されている。どちらも同じような構造で、縦横高さが5×3×4mの石室の中に、深さ1mほどの井戸があり、水底には杉板が敷かれていた。

 人吉城は戦国時代から江戸時代を通じて相良氏が城主を務め、お家騒動や火事はあったものの、安定した状態におかれていた。ところがなぜか、この地下井戸は江戸初期に破棄され石室ごと埋められている。人吉城を訪ねたとき地下に案内して下さった係の方は、石が非常に綺麗に積まれていることや、水底に板が敷かれていたことなどから、ここは単なる水場ではなく、特別な用途を持った秘密の部屋で、切支丹信仰に関係していたのではないかと話しておられた。地下の石室に降り立つと、確かに古墳などの石室に共通する宗教的な雰囲気がある。

 人吉藩士に隠れ切支丹がいたという資料はないが、人吉藩はキリスト教のみならず、戦国時代に領主と対立した一向宗(浄土真宗)も厳しく弾圧したので、領民の中に隠れ念仏集団がいたことはよく知られている。この地下井戸は案外一向宗のお堂だったのかもしれない。

社会とニュース

「食べログ」無責任な評価をばらまいておきながら何をいっておるのか

 昨年に引き続き厳しい年になりそうですが、本年も自然と文化財と社会の記事を気ままに書きますのでよろしく願います。
 新年最初のテーマは新聞の小ネタから。たいした話じゃないけど、なんじゃこれはと思ったので。

アマダイ刺02
この写真は萩名物の赤甘鯛。本件とは無関係だが正月っぽい彩りの料理だったので。

 新聞やテレビのニュースによると、ネットの人気ランキングサイト「食べログ」で、複数の業者が飲食店から金をとって、その店に有利な書き込みをしたことに対し、「食べログ」を主催するネット業者の(株)カカクコムが、それをやめるよう警告し、従わない業者には法的措置を検討するといってるらしい。
「食べログ」やらせ書き込み、請負39業者が…(読売オンライン)

 筆者には「食べログ」が業者にやめるよう警告したり、法的措置をとるとすごむ姿が滑稽に見えた。少なくとも同じ穴のムジナというか、どっちもどっちのいい勝負に思える。以下にその理由を説明する。

 事業者の業務内容を評価し、それを一般公開することは事業者の業績に直結するのだから、そこには大きな責任が伴う。しかし「食べログ」は匿名の不特定多数が勝手な評価を行い、内容をそのまま世間にばらまくという無責任なものだ。
 投稿を勧誘する説明には「あなたの採点で、お店や商品のレーティング(評価)が決まります」と書かれているが、評価の根拠や基準はもちろん、主催者と投稿者の責任について何も語られていない。
 投稿数は主催者が内容をいちいち確認できる程の量ではなく(67万5千店舗に対し317万本の評価が集まっている)、店を中傷するようなキーワードを検索して書き込みを削除するぐらいのことしかできないはずである。

 内容が同程度のライバル店があったとして、一方にシンパシーを感じる者が作為的に両者に差をつけた評価を書き込めば、それがそのまま「食べログ」の評価として公表されるのである。例えば旅行者の利用が多い郷土料理の店が、狭い地域に複数ある場合など、その影響は決して小さくないだろう。それに気づいた各店が「食べログ」への対策を考えるのは当然である。

 「食べログ」は自らが広めようとしている店の評価を「口コミ」などと称しているが、日本語は正しく使っていただきたいものである。「口コミ」とは、人から人へと直接伝えられる、伝達速度が遅く伝達範囲も狭い、規模が小さな不確実な情報を指す。国語辞典には「うわさ・評判などを口伝えに広めること」とある。だから「食べログ」は口コミではない。情報量が膨大で、しかもそれが利用しやすい形に自動的に整理編集され、さらには全国各地へ瞬時に伝達されるのである。こんなものは立派なメディアであって、書籍のグルメガイドを上回る力を持っている。
 主催者が「口コミ」などというのは、影響力の大きいメディア管理者としての意識の低さが現れているといわれても文句はいえまい。そうでなければ責任逃れの方便に近い。

 口コミと称して無責任な情報を、伝達機能の高いツールを使ってばらまいておきながら、書き込みに不正があったとして法的措置を云々するとは、ちょっと卑怯な気がする。
 もし情報の精度を高めたいのであれば、まずは投稿システムを改善し、主催者と投稿者の責任を明確にしていくべきで、場合によっては低い評価をされた者が、評者に直接抗議できるような手だても必要であろう。
 せめて、サイトの目立つ所に「これは個人の無責任な評価ですから、実際の内容と異なる場合があります。ご自身でお確かめください」と明記すべきではなかろうか。しかし「食べログ」は、驚いた事に「お店選びで失敗しない、本当に信頼できるグルメサイトを実現しています」などと大きなことをいっているのである。その責任の重さに気づいているのだろうか。

 素人の勝手な評価で同レベルのライバル店に差を付けられ、不利益を被ったからといって、このメディアを訴えて勝利することは、現状では難しいだろう。
 飲食店などというものは、味やサービスだけでなく、風評で成功し、風評でつぶされることもある。だったら、金を払ってでも自分の店の評価が上がる書き込みをしてもらい、店を繁盛させたいと考える人が多くいるのは当然であり、一方的に責める事はできないと思うのである。なんせ、不特定多数による無責任な個人的感想を、前述したように「お店選びで失敗しない、本当に信頼できるグルメサイトを実現しています」と吹聴しているのであるから。


プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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