備忘録/自然・文化・社会とニュース

社会とニュース

情報不足による感覚的類型化

 以前、原発推進でも反対でもないという立場をとりたがる人が多いという話を書いたが、「激変する核エネルギー環境」(池田清彦/ベストセラーズ)の販拡コピーにこんなのがあった。
 「原発推進派は絶対安全と言い張り、原発反対派は絶対危険だと主張した。推進派はゼロリスクでなければダメだと言い張る反対派の手前、科学技術的な検証もせずに、絶対安全だと言い張っていたのではないか。絶対反対とか絶対賛成とかは政治か宗教であって、科学ではない・・・・・」
 このコピーには、自分は推進派でも反対派でもないという人の感覚がよく現れているように思う。こういうのを情報不足による感覚的類型化と呼ぶことにする。

 推進、反対ともに宗教などではない。両者は何十年にも渡り、実にリアルな闘争を繰り返してきた。その結果、推進派はその強大な資金力によって、反対派を感情的に反原発を唱えるだけのヒステリー集団として社会の片隅に追いやることに成功したのである。
 反原発の科学者や運動家が主張してきたことは、決して感情論などではなく、科学的な合理性があり説得力もあった。推進派はそれに危機感を持ったからこそ、膨大な宣伝費を使い、詭弁を弄して安全神話を構築し、また反対派のイメージ低下に努めたのである。
 もし反原発運動が、一部に見られる動物愛護運動のように、科学的な合理性を欠いた感情的運動であれば、あれほど莫大な宣伝費を使って押さえ込む必要はないはずだ。

 最近になって週刊誌などが原発の問題点を書くようになったが、利権構造から原発の技術的欠陥に至るまで、その内容は70年代から反原発運動の中で語られてきたことだ。このところ相次いで復刊された古典的な反原発図書を見ればそれが分かるだろう。
 繰り返しになるが、反原発運動を合理性のない感情論、あるいはイデオロギーに基づいた政治運動と認識するのは誤りであり、また推進派が見え透いた安全神話を能天気に繰り返してきたと考えるのも間違いである。立場の違いこそあれ、どちらも社会の真相に気づき、その当事者たらんとした人々の闘争であり、それ以外の人は真相に気づかなかっただけの話である。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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