備忘録/自然・文化・社会とニュース

社会とニュース

頼むから現実を受けとめて対応してくれ

 24日、放射能による出荷制限を受け、64歳になる農家の男性が自殺した。29日の報道によると。有機栽培で安全かつ上質の野菜を作っていることで有名な方であったらしい。悔しくて泣けてくる。
 家族によると「福島の野菜はもうダメだ」ともらしていたとのこと。これを過剰反応などいう者は無知な愚者だ。

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福島第一原発から西方50kmの農地。退避地域ではないが汚染は進行している。こんな写真を見ていると、今すぐにも放射線物質の拡散を止めろと叫びたくなる。

 何が起きているか、かなりはっきりしてきたので、今後のことを断定的に書く。これが本当であるかどうかは、1年もすれば答えが出るだろう。決して恐怖を煽りたくて書くのではない。私が何かをいってもおそらく何の役にも立たないとは思うが、みんなに焦って対応して欲しいのだ。

 原発の周辺は、今後何十年も人が住めなくなる可能性がある。住民にとってこれほど残酷なことがあるだろうか。汚染はまだら模様にが広がっているので、精査が必要であるが、北西と南の汚染が酷い。
 もう十分に生きたから、せめて故郷で死にたいと言う人なら帰してあげたい気もするが、子供や若者を帰すわけにはいかない。当然、原発の周辺地域では世代交代が行われないから、いずれ直近の地は完全なゴーストタウンとなる。そんな事態を視野に入れて、学校や体育館でのキャンプではなく、他の町での新生活を視野に入れた準備が必要だ。農家の人なら休耕地への移転ということも必要かもしれない。キャンプ生活をいたずらに長引かせるのは苦痛を長引かせることになる。福島のパワーを別の場所の農業や産業の活性に結びつけるぐらいの発想の転換が必要なのだ。
 日本は昔から遷都を繰り返しているし、後の武家社会は領主の転封が多く、領民を連れて移動した例もある、などといったら故郷から追い出された避難民には申し訳ないが、現実的な対応として、新天地と新生活のサポートを真剣に考える必要がある。

 自殺した男性のいった、福島の農産物はもう終わりというのは、決してオーバーな表現ではない。実際に農地の汚染が進んでいるのだ。より安全な作物を求めて農業をしてきた人にとって、今回の汚染はこれまで積み上げてきたものの消滅を意味する。
 たとえ事故が収束しても、周辺の町村は、畑の表土を取り除き、新しい土を入れないと作付けができないだろう。原発によって「福島産」は不安なブランドにされてしまったので、もし収穫できても、最低クラスの価格に甘んじなければならないだろう。そんな場所で意欲的に農業をする人はいないから、汚染の少なかった場所でも農業が荒廃する可能性がある。だから防衛ラインを大きく引き下げて、移住を含めた日本全体の農業のデザインを考えるチャンスにして欲しい。
 
 海の汚染は深刻である。福島県沿岸に限らず、各地で生物濃縮され放射線をおびた魚がとれるようになるだろう。また放射線物質を吸着しやすい海草類にも同じことが起きる。消費者は自然と日本の水産物を避けるようになるだろう。そうでなくても衰退している日本の漁業はジリ貧となる。もし政府や自治体が、一次産業を救うために、事実を隠蔽すれば、健康被害のリスクを広範囲にばらまくことになる。安心するためには流通の各過程で丹念に選別するしかない。しばらくの間、第五福竜丸事件後の市場のようになるが、生産者も消費者も頑張って踏ん張って欲しいと思う。

原子マグロ

 原発事故とは、このように第一次産業を長期に渡って破壊するのである。
 政府はどこまで認識して救済の準備を進めているのだろうか。現時点では何も考えてないことが、以下のことから分かる。それは、報道写真で見た野菜の破棄風景である。
 農民が出荷できなくなった野菜を、耕耘機で畑に鋤込んでいるのだ。こんなことをしたら、次に作る野菜も汚染してしまうし、表土除去もしにくくなってしまう。行政は、土をかき混ぜずに、野菜だけを集めて処分するように手助けをしなければならないのだ。せめて、処分方法だけでも教えるべきだろう。

 日本は原発を国策としたために、安全性ばかりが強調され、放射能の危険性と防御や除染方法について、一切教えてこなかった。だから、政治家も役人も国民も、放射能というものがほとんどイメージできず、有効な手が打てないのだ。これが日本人にとって最大の不幸である。

 先手必勝という言葉があるが、安全確保とは最悪の事態を想定し、先回りして対応することである。希望的観測を並べて、最悪の事態になるまで動かず、動いても最小の手間にとどめようとするのは、愚者の極みである。

社会とニュース

私は非国民でよい

 震災で被害を受けられた方、家族や友人をなくされた方、そして、突然命を絶たれた多くの方々には心から哀悼の意を捧げる。子どもの死者行方不明者が1,000人を超えると聞き胸が潰れる思いだ。
 またこの震災が人々の心に負わせた傷は計り知れない。親をなくした子ども達にはどう対応すればよいのだろう。生活環境が復旧しても、簡単に傷が癒せるものではなく、今後の生活に大きな影響を与えることは想像に難くない。慰めの言葉すら思いつかない。

 被災者は大きな顔をして、官民の援助に甘えるだけ甘えてもらいたいと思う。どうせ出来る事など限られているのだから。私は今のところ寄付ぐらいしかできないが、今後復興の状況を確かめつつ、できるだけのことをしたいと思う。長期戦になることは必至だ。

 ただ今回の震災に伴う原発事故には、少し別の感情を持っている。地震や津波という天災とは切り離して考えたい。もちろん、原発事故の被災者を助けないということではない。責任と因果関係を明確にして、区別すべきだと思うのである。
 原発事故は日本人の共同責任による人災である。事故の引き金が地震と津波なので、天災の一部と思う人もいるかもしれないが、全ては国、電力会社、電力消費者の責任であって、特に国と電力会社の責任が重い。また酷な言い方に聞こえるかもしれないが、原発を誘致した地元自治体にもその責任の一端があると思っている。それらに較べれば、発電方法を選択できない消費者の責任は軽いといえるが、自分が使う電気の作られ方に、無関心であったことの責任からは逃れられないだろう。

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 写真は対岸から撮影した日本の原発の草分け「敦賀発電所」1号機。福島原発より古い。原子炉の廃炉解体は莫大な費用と時間がかかり、現実的には見守り保存となるので、日本原子力発電(株)では、改修して2016年まで使うつもりらしい。反対派が邪魔をするから、新しい原発が作れないなどとふざけたことをいう者もあるが、危険になった古い炉を解体して、より安全な新型炉を建設するなら合意が得やすいだろう。ところが実際は、すぐに解体することが難しく、何10年もそのまま管理しながら、新しい場所に発電所を新設するしかないのだ。この炉は米国GE製で、今となっては旧式の問題機といわれる。敦賀での事故・トラブルはこの炉が多い。関西人の恐怖の的 ?

 原発を作った連中は、想定外の地震と津波などと寝ボケたことをいってるが、全くそんなことはない。M8以上の地震は過去に何度も起きているし、直近の2004年のスマトラ島沖地震は、M9.1~9.3とされ、10mを超える津波が起きている。しかも日本は地震の多発地帯。これを想定外というなら無能の極みである。
 全体を管理する国。安全基準を定める原子力安全委員会。原発を建設し管理運営する電力会社。これらがグルになって、経済的に実現可能な、ホドホドの安全基準を作っていくのだから、今回の事故は起こるべくして起こった人災事故なのである。

 原子力とは、お湯を沸かすことしかできない、お化けのような熱の塊である。しかも、一度火をつけると消すのが非常に難しい、使い勝手の悪い過剰な熱源で、70年前に利用が始まってから今日まで、爆弾と湯沸かし器しか作れていないのだ。ただ、ちゃんと管理ができるなら、国民の合意と監視の下、少量の湯沸かし器ぐらいは使ってもよいと思う。でも現状は、金で無理に作り出した合意の下で、問題を隠蔽しながら綱渡りのような管理を続けてきた。おかしな事になってしまうのは当然である。
 原子力や原子炉、被曝とはどんなものであるかということを学校では教えない。小学生が電力会社の一方的な宣伝施設に遠足で行くぐらいだ。マスコミも電力会社に高額な広告料をもらっているから、原発の安全性を検証するような記事や番組は作れない。

 いちいち説明すると長くなるので結論だけをいうが、日本は原子力や石油がなければ電気が作れない国ではない。燃えカスの後始末や放射漏れのことを考えると決してクリーンではないし、ゴミの始末費用や廃炉後の維持管理費まで考えると非常に高くつく発電なのだ。
 では何故そんなものが沢山できたかというと、莫大な金が動くビッグビジネスなのである。官民が融合した独占的な業界であり、もちろん族議員もいるし、官僚としても天下り先が山のようにある美味しい産業なのだ。
 電力会社は原子力業界の一部に過ぎないが、消費者の生活に直結していることから、国民の反核意識を押さえる宣撫隊として、また欧米に追いつき、プラントの輸出販売を目指す業界の実験台として、さらにまた国民から金を集めて原子力業界に投資する胴元として機能してきた。原子力にほとんど無知な一般の人々が「電気をたくさん使う以上は原発が必要」と思うようになったのは、電力会社が40年かけて行った宣撫活動の賜物である。
 原発の諸問題は、多くの人が指摘してきたが、それ以上に多くの人が、とりあえず問題は先送りにして、目の前の金の魅力に飲み込まれていったということだ。

 電力会社は電気をたくさん売ることを目的にしている営利法人である。その証拠に、電化住宅など電気を使わせることに腐心し、夏に電力需用が過剰になったらときだけ節電を呼びかける。身内に東電の社員がいたが、経営者にもっと電気を売れと、よく発破をかけられたという。
 別に金儲けが悪いとは思わないが、電力会社はある種の政商であり、私としては商道徳的に気に入らない部分が多い。

 原発を誘致するとその市町村は100億円ぐらいのお金がもらえる。国も優遇措置をとる。原発がある町と、条件のよく似た別の町では、インフラの充実度に大きな差がある。地方税が免除される自治体もある。住民の電気代も安い。住民は安全や安心を電力会社や国に売り渡したのであるから、当然の代金を受け取ったといえるだろう。
 よく自治体の長は、町の発展のための苦渋の選択であったというが、いってることが矛盾しているように思う。同じように苦しい自治体はたくさんある。そこから抜け出すために打った博打、といったら失礼だが、ある種の積極的な経済政策であったはずだ。万が一の事故が起きれば、町を捨てなければならないことぐらい反対派の住民が訴えてきたはずだから、それは承知のうえでの選択であるといったら酷であろうか。
 このあたりのことは、全ての人々が認識しておいた方がよいと思う。例えキンキンうるさいと思っても、反対派のいうことも、よく聞いておけということである。
 それともう一つ、高額補償は一回きりということも知っておいた方がよい。福島原発事故の渦中にある双葉町は、すでに金を使い果たしたのか、現在厳しい財政難にあり、新たな原発の誘致運動をしていたという。役場が立派なので人口が数万人いるのかと思って焦ったら、6~7千人とのこと。そしてその人達は埼玉県に避難。あまりにも悲しい。

 もし原発を誘致したなら、最初の説明とその後の方針が変わるのは日常茶飯事と思った方がいい。自治体が変更に抵抗するのは難しいだろう。また事故の報告も、地元にはすぐに伝わらない。電力会社は、まず身内の霞ヶ関の監督官庁に伝え、そこから政府に報告が上がり、政府から県、県から地元というわけである。
 原発を誘致した自治体は、そんな不満を社会にアピールすべきであろうが、そんなことをすれば国や電力会社に睨まれ、財政支援面で不利益を被ったり、自治体の長の首をすげ替えるぐらいのことはされそうだ。大きな力を利用して豊かになろうと考え、逆に大きな力に翻弄される弱い人々の悲劇である。 

 こんなことをいってると「電気を使ってるくせに文句をいうな」と思う方もおられよう。しかし、電気を買う方は発電方法を選べないし、原発を作ってくれと頼んだおぼえもないのだから、批判しても文句を言われる筋合いはない。また消費者として売り手を批判するのは極めて健全な姿勢であるし、私は東電の奴隷ではなく顧客である。

 面白い話を一つ紹介しておこう。先代の福島県知事を務めた佐藤栄佐久は、歴代最長の5期15年も務めた人気知事であった。彼が知事に就任した88年にはすでに、福島第一第二の10基の原子炉が稼働しており、知事としてこれら太平洋岸の原発銀座を受け継ぐことになった。
 佐藤は、当初原発には中立の立場であったが、プルサーマル計画については安全性が確保できていないとして、東電との対立を深めた。だがしかし、まるでタイミングを計ったかのように、福島県で入札不正事件が持ち上がり、知事が逮捕されてしまう。本人は当初から今日に至るまで冤罪無実を主張しているが収賄容疑で有罪判決を受けた。原発がらみで国に逆らう佐藤への不当な国策捜査と考える人もいる。

佐藤雄平
佐藤雄平現福島県知事

 佐藤が辞任したあと知事になったのが、このところデレビでよく見かける民主党の佐藤雄平である。東電は早速プルサーマル計画の実施を求め、新知事はすぐにこれを受け入れた。その後拙速といいたくなるような早さでプルトニウム燃料の試験運用を進め、3号炉で商業運転を開始した。2010年のことである。3号炉での使用は、口の悪い専門家に言わせると、古い灯油ストーブでガソリンを燃すようなものだというが、そのあたりの技術的なことは分からない。ただ、プルサーマルのMOX燃料には、吸い込めば1gで300万人ぐらいが肺ガンになるという、この世のものとも思えないほど危険なプルトニウムが使われていることは事実である。現在こんな危険な燃料を使っているのは日本だけ。各国は安全性が確保できないとして断念している。東電によると日本のは安全なのだそうだ。

 ちなみに佐藤雄平の叔父はベテラン議員の渡部恒三である。渡部は自民党時代に「福島に原発を」の旗ふり役であり、原発族議員の一人と目されている。渡辺は東電から一定の支援を受けていたと考えるのが自然だ。彼らは福島の原子力一家といえる。

人間渡部恒三

 佐藤雄平はNHKの原発事故取材で、日本のエネルギーを支えてきた福島県への国の援助を求めていた。県民を助けて欲しいというのは、自治体の長として当然の主張であるが、電力消費者が福島に原発を求めたわけではない。主要消費地の首都圏により近く、すでに原子炉があった茨城県でもよかったはずだ。福島の原発誘致に熱心だったのは渡辺叔父さんであり、前任者が反対していたプルサーマル計画に賛成し、不安を高めたのは自分自身であることを忘れてもらっては困る。まずは、県民にその不明を詫びてから、消費地に理解を求めるべきであろう。
 
 私が怪我をして倒れた人を鞭打っているように見えるかもしれないが、このあたりのことは、絶対に有耶無耶にしてはならないと思うのである。
 原子力産業とは、かくも生臭くドロドロしたもので、原発は必ずしも国民ために作られたものとはいえない。日本の国策に反対する私は非国民である。でも、原子力産業の奴隷として憂鬱な毎日をおくるぐらいなら、日本人でなくてもいい。

文化財

最後にしくじった世渡り上手な名門武家

 浜名湖の北岸にある舘山寺温泉には、かつて堀江城という城があった。現在、城の遺構は何も残っておらず、城があった山の上に、遊園地と温泉旅館が何軒かあるだけ。

堀江城絵

 堀江城の始まりは、鎌倉末期に大沢基久(もとひさ)という武士が、この地に城を構えたのが始まりで、鎌倉幕府が滅ぶと今度は室町幕府の守護大名であった今川氏の配下となり、駿河今川氏の防衛拠点として機能した。

 今川義元が桶狭間の合戦で死ぬと、今川氏の諸城も次々に落城、また多くの家臣が、義元の馬鹿息子と伝えられる氏真(うじざね)を見限って徳川方についた。しかし、大沢氏9代目の大沢基胤は、合戦の状況とその後の流れを読み切っていたのか、今川陣営に残り、堀江城で孤軍奮闘して徳川勢を苦しめた。そしてついに徳川家康から和睦を引き出すことに成功し、徳川チームに入る代わりに、今の自分の領地や身分はそのままという、主家が滅んだ国の将としては破格の好条件を勝ち取った。

 もちろん家康が主力を率いて全力で攻めれば、小さな支城に過ぎない堀江城など2~3日で落城したと思われるが、主力は今川氏真と名将朝比奈泰朝が籠る掛川城の攻撃に手こずり、戦闘がこう着状態となっていたのである。
 大沢氏は地方の小勢力ながら、鎌倉幕府から室町幕府、そして徳川幕府へと、600年もの長きに渡り、一国一城の主として生き延びたのであるから、戦の上手さと判断力、世渡りの才能は封建小領主の理想といえるだろう。

 徳川勢との戦闘に使われた堀江城は、土塁と柵をめぐらし、その中に掘立て小屋や材木を組んだ物見台などが並ぶ「砦」と呼んだ方がよい中世の山城であったろう。江戸幕府はそうした戦闘用の施設を、小大名や旗本が持つ事を禁じたから、大沢家では忠誠心を疑われるのを避けるため、先祖伝来の城といえども早々に破壊したはずである。
 だから江戸時代の堀江城はただの武家屋敷に過ぎず、そうした小領主の本拠は「城」とはいわず「陣屋」と呼ばれていた。だから江戸時代以降の「堀江城」は「堀江陣屋」と呼ぶのが正しい。上の絵のような石垣の上に白亜の天守がのる近世の城郭建築は、堀江城の歴史を通じて一度も存在した事はない、はずである。

堀江城01
現在、この地で堀江城に拘っているのはこの旅館だけのよう。城山の麓に建っている。上の絵もこの旅館の部屋にあったもの。なかなかよい旅館であったが、もう少し史実に忠実であれば、もっとくつろげるのだが。変な城の絵と怪しい説明文が館内のあちこちにかかっていると落ち着かない(笑)

 さて、その後の旗本大沢氏の運命であるが、これがなかなかうまくやっているのである。
 その後、大沢基胤は徳川の大名の配下として働き、天下統一に貢献した。そして、その息子の大沢基宿は鎌倉時代から続く名門の子として、先祖から受け継いだ人脈、特に公家の娘であった母の人脈を利用し、徳川家康の対朝廷工作ブレーンとして活躍するようになる。そしてついに、徳川家康が朝廷から征夷大将軍の宣下を受ける際には、その事前交渉に活躍し、徳川側の代表として式典を仕切ったというのだ。これが徳川幕府の高家の始まりとされている。
 高家というのは忠臣蔵で有名な吉良上野介の役職で、江戸時代を通じ二十数家が高家に取り立てられており、役職を世襲。最初に高家になったのは、大沢家と吉良家の2つ。その少し後に加えられた畠山家の三家が高家の上位とされている。
 幕府高官の老中クラスが直接指示を出し、幕府の代表として天皇や公家に会い、また幕政において朝廷対策、外交、式典などのブレーンも務めたから、大したものなのである。
 経済的には大藩の大名の足元にも及ばなくても、忠臣蔵の吉良のように、大名に指図できる立場で、賄賂天国の幕府であるから副収入はかなりあり、参勤交代や幕府の土木事業にも参加せずにすんだから、かなり裕福であったと思われる。
 朝廷からは「従五位下侍従」以上の官位を与えられ、初代高家の大沢基宿は後に「正四位下左中将」にまで出世している。これは十万石の大名の官位に匹敵する。忠臣蔵で切腹させられた浅野長矩の官位は従五位で四位の吉良上野介より下であった。

 こうして堀江城と大沢氏は江戸時代を通じて安泰となった。領地経営も巧みで、検地の書類上は3,000石少々だったが、実質は5,000石以上あったとされる。

大沢基寿
大沢基寿と伝えられる写真。維新を乗り越えて間もない20代前半と思われる。

 やがて江戸幕府も終わりを迎えるが、その頃の幕府は京都との関係が、今までになく重要な課題となっており、その頃の大沢家11代目、大沢基寿(もとすみ)も歴史変革の大きな場面にその名前を残している。徳川慶喜の大政奉還の上奏書を御所に届けたのも、誰あろう大沢基寿である。
 この頃の基寿は幕府の使者として御所に頻繁に出入りし、皇族や公家だけでなく、長州や薩摩の動きについてもかなりの情報を得ていたらしい。この頃のことを後に本人が語ったものが残されており、幕末の生々しくまた興味深い資料の一つとなっている。

 大沢家では先祖達がそうしたように、新しい支配者に対する対応を協議し、新政府の一員になるよう画策を始めた。その手始めに薩長軍に対し、大沢家は古くから御所とのつながりが深く、勤王であることを表明して薩長軍に献金を行った。そして薩長からは、堀江周辺の行軍と物資の輸送に便宜を図ることと、その防衛に協力するよう要請があり、それを受け入れた。先祖がそうしたように、徳川幕府から長州政府への乗り換えに、ほとんど血を流す事無く成功したのである。

 しかし、問題は身分であった。名門の高家といえども、立場は旗本であり大名ではない。新政府ではこの差がモノをいった。
 大名は特権階級の「華族」となり、財産の維持や藩主に代わる知事としての政治参加が認められ、また、借財があっても、財産を抵当として他人に取られる心配もなかった。つまり明治初期は、大名の特権を認めるシステムが維持されていたのだ。
 一方、旗本や藩士は「士族」となる。これは単に「元サムライ」に過ぎず、どこかに就職するか、自分で事業を始めなければ、収入は得られない。それに失敗すれば破産を意味していた。

 このとき、ある家老が良い策を思い付いた。領地の石高を5,000石ほど水増して1万石とし、これまで周辺の小藩に匹敵する規模の地域を支配してきたのだから、これを新しく藩として認めて欲しいと新政府に訴えたのである。
 この策はまんまと当たり、明治元年の夏、めでたく堀江藩が成立し、大沢基寿は旧藩主に当たる堀江藩の知事となった。

 これで大沢基寿は新政府の華族として地方政治に参画し、大沢家も安泰となるはずだったのだが、天網恢々粗にしてもらさずというか、悪い事はできないもので、激動期ゆえ政府によって何度も地域の行政割が変更され、その過程で堀江藩の虚偽申告がバレてしまったのである。
 大沢家は華族から士族に格下げ、本人は刑務所に入れられてしまった。今も皇族や元華族を騙った詐欺があり、逮捕者がでたりするが、本物の高家のお殿様が詐欺で逮捕された例は少ないと思う。

 江戸時代なら家臣の誰かが切腹し、幕府高官への賄賂攻勢で殿様を守ることもできたと思うが、新しい時代の法体系がそれを赦さなかったのだろう。また大沢基寿自身もそんなことを望みはしなかったと思う。
 その後、大沢基寿は歴史の舞台から姿を消す。64歳まで生きて後継ぎがいたことも分かっているが、彼の後半生ががどのようなものであったかは知られていない。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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