備忘録/自然・文化・社会とニュース

文化財

労働争議、コミュニティの崩壊、そして廃墟



 これは福岡の志免町にある炭坑の縦坑櫓跡。石炭を求め地底深く掘られた垂直坑道のエレベータータワーである。 昭和18年に完成し、地上高53.6m、地下の坑道の深度はなんと430mもあるという。
 全てが取り払われ広々とした炭坑跡地に高々と聳える姿には心揺さぶるものがある。福岡空港に近いので廃墟好きにはお薦めスポットだ。
 取り壊し計画もあったが、志免町のシンボルとして、また産業遺跡として保存を望む声が多く、今は見守り保存(現状のまま風化を待つ)になっている。登録有形文化財に指定されてはいるが、地元には解体して跡地を利用したい人もいるので、いつまでこの姿が臨めるかは不明(湯河原の文化遺産であった天野屋旅館のように、所有者が登録解除して解体することは可能である)。

 志免鉱は国営炭坑(戦前は海軍、戦後は国鉄が所有)であったが、戦後の石炭需要減少から赤字がかさみ、民間会社への払い下げが議論されるようになった。昭和34年に国鉄からの分離が決定されると、労働争議が起きて労働者と警察官が衝突。双方に多数の負傷者を出した。事態が収集できないまま民営化を断念。ついに昭和39年廃鉱となった。日本の炭鉱事業終焉の始まりである。
 組合の激しい抵抗が民営化を阻害し、従業員は元も子も失ったように見えるが、組合は当初計画された退職者数を半減させ、国鉄の鉄道部門への再就職枠を拡げることに成功している。もし円滑に民営化が進んで炭坑が存続したとしても、廃鉱の運命がすぐそばに迫っていた事に変わりはない。

 炭鉱の町は人口の多くが同じ場所で働き、親の代から炭坑に勤務しているという住民も少なくない。合理化や他の土地への配置転換に対する住民の意識は普通の町とは大きく違っているのだ。そのあたりを考えないと炭坑の労働争議の激しさが理解できないだろう。
 昭和35年、配置転換者の第一陣約500人が、志免中学校の生徒が演奏する蛍の光が流れる中、町中の人々に見送られ志免の駅を発ったという。

 今の労働者は使い捨てにされても羊のように大人しい。当時の労働組合の激しい闘争の記録を見ると隔世の感がある。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

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