備忘録/自然・文化・社会とニュース

文化財

ニューシネマパラダイス



 愛媛県の内子町にある芝居小屋「内子座」はあまりにも有名だが、同じ町にもう一軒「旭館」という古い劇場がある。大正末に建てられた映画館だが、そのチープさがなんとも懐かしい。この時代を代表する看板建築で、正面から見ると塔のある立派な劇場なんだが、本体は安手の倉庫みたいな建物(セメント瓦にトタン張りなのは、戦後お金をかけずに改修したためと思われる)。後に「電気館」と名前を変え昭和40年頃まで営業していたというが、映画の全盛期には内子座の芝居より賑わったはず。

 少し前までどこの町にもこんな映画のセットみたいな映画館があったと思うが、急激に消滅してしまった。明治以前の建物で立派なものは今後もそれなりに保存されていくと思うが、昭和以降の建物、特に木造の安普請ものは、今から保存の手を打っておかないと写真にしか残らないだろう。
 金と労力をかけて保存する価値があるかどうかが問題になると思うが、100年ぐらい先のことを考えれば、その価値は十分にあるだろう。少なくとも大金をかけて新築したデザイナーの自己満足みたいな公共の箱ものと同等以上の値打ちがあると思う。行政が有名デザイナーにいいようにやられた使いにくくて維持費がかかる建物も、それはそれで面白いんだけどね。

文化財

擬洋風建築に見るお城の様式

 庄内の致道博物館で名人棟梁高橋兼吉の作品を見て大満足。 大層なタイトルをつけてしまったが、要するに彼が作った洋館の一つが、日本の城の望楼型天守にそっくりだったという話。



 上がその作品、1884年11月竣工の旧鶴岡警察署。大きな入母屋屋根の上に四角い望楼を乗せた姿は、まさにお城である。望楼の屋根が正方形の寄せ棟なので、上から見ると城っぽくないのかもしれないが、地上から見て「あっ、これってお城の天守じゃん」と思った次第。
 庄内地方の近世城や明治の官庁などの屋根は、釉薬のかかった赤い瓦で葺かれていた。これは無釉薬の黒い瓦だと中にしみ込んだ水が凍って割れるという寒冷地ならではの理由による。
 明治の庄内地方はまだ瓦が貴重品だったので、高橋兼吉の作品には、明治の廃城令で解体された庄内のお城の瓦が再利用されているという。



 こっちは犬山城の天守などを参考に建てられたという長浜城のコンクリート製望楼型天守(長浜城歴史博物館)。鶴岡警察署に似ていると思いません?。ちなみに鶴岡警察署の建築費用は5千3百円。米価換算で今の価値にすると1.000万円程度。かなりリーズナブルである。中古瓦を利用したことも効いているのだろうか。そして長浜城の方は付帯施設込みで10億円とのこと。こうなると高いのか安いのかよく分からない。



 最後は長浜城天守のモデルになったという国宝の犬山城天守。17世紀前半の建物で、増改築を繰り返していることから色々な棟梁の合作といえる。最上階の屋根の向きが長浜城と90度違うのでかなり違った印象だ。

自然

心休まらない風景



 これは2008年の夏に近江八幡で撮ったもの。年長の子が小さい子にウキ釣りを教えていた。子どもが自然から遠ざかっていると言われる昨今、なんとも心休まる光景であった、といいたいのだが、日本の水辺の現実を思うと苦しい気持ちになる。
 釣れていたのは全部ブルーギル。見える魚も全部ブルーギル。30年前にはフナやタナゴ、ハゼなど多様な魚が見られた場所である。
 年長の子どもはブルーギル問題を理解しているようで「今更コイが釣れたらびっくりするよ」と皮肉をいっていた。
 釣りをする子どもにこんなこと言わせていいのか?。魚に罪はないなんて呑気なことを言ってる段階はとうに過ぎたと思う。ブラックバスよりブルーギルの方が怖いといってた人は多いが、果たしてその通りになった。
 これからの釣りはスコップが必需品。もちろん釣れたブルーギルを埋める穴を掘るためである。

文化財

小田原城のウメ子



 小田原城は神奈川県内で唯一、日本城郭協会の「日本100名城」に選ばれた城だが、天守は鉄筋コンクリートの展望台となっており、城内に遊園地や動物園があったりして、昭和の庶民が愛したリクレーション施設としての「お城」を体験できる場所である。
 最近の城跡は、歴史的な遺構としてアカデミックな方向にシフトしようとしているが、自分が子ども頃のお城とは確かに小田原城のようなものであった。
 こうした城の有り様については、木下直之の「わたしの城下町─天守閣からみえる戦後の日本」に詳しい。怪しい城と日本の戦後という時代に対する愛に満ちた好著である。

 最近は小田原城も江戸時代の姿の復元に向けて整備が進められているが、そうなると動物園も遊園地も姿を消すだろう。しかし、まだ貧しかった昭和の子供達を楽しませた施設の記録は消し去らない方がいいと思う。100年後には新築された天守より貴重なものになっているような気がしてならない。



 小田原城で長年暮らして来たゾウのウメ子。来日したのは昭和25年だから、昭和35年竣工の小田原城天守より古株だ。

 ゾウのいる小田原城に物足りなさを感じる歴史ファンは、すぐ近くにある石垣山に行かれるとよい。そこには豊臣秀吉が小田原攻めの陣城として築いた「一夜城」がある。城域には当時の遺構が思いのほかよく残っていて、その石塁や廓の規模から、この城が一夜どころか、かなりの労働力と時間をかけて築かれたものであることが分かる。
 しかも一夜城は現在見られる徳川時代の小田原城より様式が古く、石垣の手法も野趣に富んでいるので、古城の風情を満喫できる。



---追記---
この記事を書いたのは2008年9月だが、
1年後の2009年9月、小田原城のゾウのウメ子が亡くなった。
推定62歳。人間なら100歳を超える長寿であった。
長い間小田原城を訪れる子供達を喜ばせた
日本を代表するゾウさんの1頭だった。
城内に設置された献花台には多くの市民がおとずれたという。

自然

戦国大名の見た虫

 復元された安土城の大手道でたくさんのハンミョウを見た。登っていくと一度に3頭ぐらいが得意の道案内*をしてくれる。南から北に登って行く開けた道は、ハンミョウにとって格好の餌場なのだろう。

azuchi_ham.jpg

 ここは天下をほぼ手中に収めた信長の城の正面玄関だから、諸大名はもちろんイエズス会の宣教師といった客も通っている。また、道の両側には前田利家、羽柴秀吉ら家臣の屋敷もあったらしい。乗物に乗って登った人は気づいていないかも知れないが、夏に汗を拭きながら歩いて登った人はこの虫に道案内をされたはずだ。 彼らが小さな虫に気をとめたかどうかは別として。

 赤丸内のハンミョウは実際に大手道で撮ったもの。矢印の先にハンミョウがいる訳ではなく、だいたいそんな密度でいますよ、ってこと。

※ハンミョウは開けた山道などにおり人が通りがかると前に少し飛んではすぐにとまる。このため人に道を教えているように見える。
プロフィール

Kimupon_Cicadan 木村 義志

Author:Kimupon_Cicadan 木村 義志
出身地 : 大阪市
現住所 : 東京都
1955年生まれ
科学図書執筆編集のお仕事
分野は生物学系

写真は特にクレジットや注釈がない限り筆者の撮影です。記事や写真についてのお問合せはなんなりと。
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